悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

歩幅は

最近また体調は良くなくなってきた。薬は飲んでいるけど「外に出るときなどに使ってね」貰った頓服薬の安定剤を何の日でもないのに1日半錠は飲んでしまっている。

私も普段の日常の中で飲もうとしてたわけではなかった、少しずつ外に出てみる時に飲んでみようと思っていたのに。今まで漢方を飲んで抑えていたような状態でさえ薬に頼るようになってしまっては元も子もない。

漢方が利かなくなった、というわけでもないのだろうがそれ以上に私自身が元気になったのかもしれない。この興奮状態のような気持ちは厄介である。

これはもしかしたら周りへの苛立ちなのかもしれなかった。私は薬を服用して常にあった緊張感は緩和された、早寝早起きにもなった。私自身には私は変わった、変わらざるを得なかったという思いがあるのかもしれなかった、しかし周りは変わらない。
相変わらずロクデナシの父親は日中はほぼ寝ていて夕飯時に起きる、酒を飲みすぐ飯を食べ終わり一応床に入るが寝れない、という事の繰り返し。
薬は一応飲んでいるようだがまともに飲み始めたのは私が通院し始め薬を服用してからだ、父親の私への対抗なのだろうかと思うと気が重い。

そんなロクデナシの父親には母も何も言わないし、しなかった。というより誰の話も聞かないのだ。祖母の話もたぶん医者の話も聞いてない、聞き出そうとしても自分から話すことも何もないので周りは父親に何もすることもできない。
周りを見下しているのかもしれなかった、「誰も俺の事をわかってくれない」と。
私が周りに対して信頼のできなさから「わかってくれない」と思うなら父親のそれは明らかに見下しなのだ。


私も私で自分へのもどかしさと周りの状況の変わらなさに苛立ちを隠せないのだ、この興奮状態は苛立ちと怒りだ。
「私はこんなにやってきたのに何で周りは変わらないの、どうして状況はよくならないの」
という思いは強く重たい。しかしこの苛立ちは私に発作を促すので薬で鎮めなければならないのだ、自分のために。ずっとその繰り返しだった。
「そろそろ状況が良くなってもいい頃じゃないの?!まだ全然良くなってないじゃん!」という苛立ちは日に日に増している。
でもこれを周りに訴えたところでどうにもならないのは知っている、しかしどんどん思いは重たくなって苛立ちを増す。


そういう事は趣味で発散しようとか言うけれど楽しみを自ら探しに行くのも疲れるだけで、私が楽しいと思い込みながら何かをするのは大変だった。結局私が楽しいと思わないと、というのは楽しめない私が悪いというだけ。

私が変われば周りも変わる、安い自己啓発は結局強者の論理だ、自分に従わない相手を自分に合わせるように変容を促す。一種のマインドコントロールである。ロクデナシの父親にもこの言葉はよく言われた事があった。
だが人の心は変われない、変えさせることはできない、当たり前である。
相容れないならお互い離れることがベストなんだと思う。簡単なことではないけれど、離れられるならそれが一番だと思う。




あまりこういう事は書いていいことじゃないけれどこうして書いてないとどこにも思いが自分の中に溜まっていって悪くなる一方なのでここで発散したかった。



もし自分のように同じように詰まっている人がいるならネットのどこかで自由に書いてみることをお勧めしたいと思う。