悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

現実

一つの応募先から結果発表のお知らせメールが届いていた。去年に文を複数先に応募したのがもう結果が出ているのを知らなかったので昨日慌てて確認した。
まるで受験の合格発表のような気だった。全身が張り詰める。鼓動はバクバク。

4つ応募した先があったのだがもちろん全て没、落選。賞などとは言わんまでもダメもとで入選(掲載)だけでもしてないかなーと淡い期待を抱いていたし、4つの応募先の中の(計5篇の短編)一つ二つは一応少しばかり自信があったけど全てホームページに掲載されることもなく終わった。

不調の最中に書いたので少しは良いことないかなと思っていたけど現実はやはり厳しかった。
ただ書くことで不調を紛らわせる生きがいのようになっていたから、これを書けば人生を変えられるぐらいの想いだった。
初めての応募だったからそう最初から上手くいくことないと思いつつも誰の目にも止まらなかったのは自分の実力の至らなさだ。自分には魅力的な文章を書くのに向いていないのだろうとさえ思う。
まるで表現をする資格などないと言われた気持ちになる。私には何かを伝える能力に欠けていて、創作者になることがもともとできない。
享受者になり消費することしか与えられてないらしい。嫌な仕事や苦手なこと苦しいことを全部耐えてやり遂げ賃金を貰い創作物をただ消費しての繰り返しをすることが私に与えられた資格らしいのだ。
創作する側、提供者になることは不可能だとわかれば私の生きがいは、楽しみは何なのだろう。何もない、本当に何もないのだ。

不調の中で書いている間だけは夢中になれて何とか自分を静められた、そのよいきっかけにはなったのだと思う。けれどこうやって結果が出て本当に何もない、となると私がやっていたことはやっぱり無駄だったのだという気にもなる。

表現の才能はない、浮き彫りになる。
私は何を目標にやっていけばいいのか、何をしたら良くなれたのだろう。
表現者側になれないという事実を突きつけられた。本当にとことん自分の人生は嫌なこと、ロクなことがない。だから何か良いことが欲しかった。表現することで良いことが欲しかったのだ。
でも私にはその域の能力は備わってないらしい。


ただ本当に某掲示板とかの実況民のような、「本気出したら」の人たちと自分は何ら変わらなかったのだ。
能力を過信する子どもと何も変わらない、だからやっぱりニートなんだと言われてそうだの一言しか返せない。また一つ事例が事実となって裏付けられた。


これからも懲りずに文章書きたいとは思えなくなった。賞が欲しいわけでもないけど、周りと比べて劣っているという事実は事実なのだ。じゃあ文章の書き方を変えればいいとしても変え方を変えるのも何もしたくない。本当に何もできない。

未来への明るい指標もなくなった、これから先に私は何を生きがいにやっていけばいいのかわからない。創作や表現手段は失われた。もう自分には何も残ってない気になる。元から空っぽだけどそれでも何をしていけばいいのかまた見えない、苦しくなる。


blogはとても自由に書けるから特に意味のないことも羅列できていいなと思う。でもここが表現の中心になり得るのだろうかと思うと現代では難しいのかもしれない。残機が必要なのだ、いつどこでもゲームオーバーになる前にストックを増やしておかないといけないのだ。



私的には頑張ったと思えたんだ、と思ったところでああこれって受験と一緒なんだ。自分では上手くできた、頑張ったつもりだけど実際は全然スタートラインにも立ててなくて周りは当たり前に遥かに優れていて、4校出願して全部不合格。それと似たような思いなんだ。

実際に何か賞金や報酬がほしいとかそういうわけでもない、ただ掲載されるだけでも、私のしてきたことは間違いでなかったとか、やってきたことは無駄じゃなかったとかそういう後ろ盾が欲しかった。そしたらこれからもこういう事、書くこと創作することを続けていってもいいんだと思えたからだ。

初めてやっていきなり上手くいくことなんて早々ないけれど、でもそんな特別になりたかったのは事実で、そうなれたらきっと自分の人生捨てたもんじゃないと思えた。実際はそんな一発逆転のギャンブルは狙えない、狙ってはいけないのはわかってるけども。ただ現状から逃れたかった。




・・・ただ不調の中で一応何とか書いていたのでどこかしらで置いておきたいとは思います。