悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

その時

こういうことって日を置いてから書いた方がいいよなあって思うんだけど自分の今のメンタル的になんかじっと落ち着いている事もしていられないなあ・・・とか思って。

今朝訃報が入った、祖母が亡くなったと、ついこの前の木曜日、父に最期かもしれないからと会いにいかないのかと母が苛立っていたと書いたばかりだった。父親は今月末にでもと悠長な事を言っていたような気がする、それから3日ぐらい。祖母の容態は先月下旬頃には親戚から腹水が溜まりだいぶ辛そうな様子だったと聞いていたが・・・。

私たちが会いにいった2月下旬がまだ元気だったんだなあと(それでも精神面ではだいぶ憔悴はしていた)思っていたけど、癌という病だと一刻一秒どうなるかっていうのがわからないものだと・・・。思えば祖父も同じく癌で亡くなっていてこれもどうなんだろうな、実は祖父も亡くなったのがちょうど十年前だった。夫婦っていうかそういう呼び寄せとか結びつきってあるのだろうか、その時の祖母曰わく祖父は飲兵衛で外に女性(行きつけのホステスの女性だとか)を作りながら、家庭をあまり省みなかった人だと当時は死人にクチナシだがそんな事を言っていた。だから祖母は父たち子ども3兄弟を育てながら病院で長年ヘルパー(当時で言えば準看護士というのかわからないのだが)として働いてたのと私は認識している。まだ私が小学生の頃だが皆で夕食を食べに行こうといった時には勤め先の病院まで迎えにいったりという事もあったなあとか、こうやって振り返っても昔話だな・・・。祖母と祖父は仲が悪かったという訳でもないけど凄く仲が良いっていうよりはもうずっと一緒にいるから腐れ縁みたいな感じだった、でも祖父が荼毘に付される時は祖母も凄く泣いていて、私たちの前では祖父の悪口半分な冗談まで言いながらも照れもあったのかな・・・なんて今は思う。

年功序列で言えば私ぐらいの年で未だに祖父母が健在してるっていう事もなかなかないだろう年に差し掛かっていると思うし祖が付かなくとも父母だって既に亡くしてたりだってする事もあるだろうな・・・そう思うと自分が今どういう生き方をしているのか、どういう身なりなのか・・・って事を考えるとあまりに幼いなとなってくる。もう既に年齢だけは大人を越えているんだけど、精神だけはずっと学生とかのままだなあとか・・・。その時というのは必ず来るのだけどもそこに挑んでいくための精神とか心の持ち方、でも一番大事なのはその後、なんだろうなとか思いつつ・・・。

 

今日は凄い暖かくて天気が良い。ベランダに出たら日光が春だった。明日の週からはこの北の地でも気温二桁台半ばの日が多いみたいだ。本当に今日の今の事だから詳細も何もまだこれからだけども、やっぱり自分の中で速記したくなった。たぶんまた何か吐き出したくなったら、落ち着かせたくなったら書くだろうな・・・。この記事を目にした方いましたら読んで下さってありがとうございます。