悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

帰属意識

宇宙人・・・が攻めて来たらこの閉塞感変わるかなあ…
毎日が止まりそうで怖い、時間が止まって見えるのが怖い。
お年の方(失礼)で引きコモリーニートされてる方言い方悪いですが本当全ては才能だと思う、誇っていいとも。籠城は任せられる。我も素質がある方なのだが・・・。
今までのうのうと過ごしてきたのがまさかここにきて身体が蝕まれようとは思うまい。

某ウイルスによるせいだろうかそれもある。
社会全体の閉塞感、個人で蓄えてきたソレやアレが触発されてなんやらこらと出てしまったのだ。

そして今まで我を支えてきた”萌え”が何故かここで弱火になってる、感受性が老化したせいなのか、何なのか。

世の同世代は皆一応エネルギーに満ちているとされる世代だろう、組織ではようやっとこれから本格的に責任ある立場として邁進していく所にある。

我はどこにもない、所属がない、何者にない。
それはとても自由であることなのだが、社会にいるのには不自由である。
証明するものが何もない。


正直、自分は特にスポーツ好きでもないのだが五輪によって景気需要とか開放的な雰囲気になるんじゃないかと思って期待してたこともあった(2019年時点で)
ボランティアとか軽い仕事とか社会復帰に悪くないかもなとか考えていた(そう言って実際にはやらないのだが・・・)
だが現実は解放感とは全く逆方向に行ってしまった。

社会の閉塞感と窮屈はまだしばらく続くのだった・・・。何者かをより求められるようになってしまったと感じる。

こうなったら何か新しい”社会”みたいなものを(既存のSNSとかにあらず)立ち上げられたらいいのにとか思ったり・・・考えも何もないけど。
まあそういうのあっても結局同じ問題は出てきてしまうし仕方ないね・・・?(兄貴)

だから冒頭の宇宙人が来たぞーって言うのあったらみな結束して脅威に立ち向かうでしょう
ウイルスと違うのは目に見えるところかあと破壊力。あれぐらい激しいと戦わざるをえない。
でも一番は”目に見える”なんでしょうね
目に見えないと信じないこと殆どなんだろう。

目に見えなくとも信じられる”何か”を得たい。
昔の人は神を信じたが、それも戒律など文章や彫像、絵など何らかしら目に見えるものを見て神を感じていたわけだし・・・(音楽など聞こえるもそうかな)

”見えない何か”はこれから創られていく概念なのかもしれない・・・。