悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

消耗する

何を目指したいんだろう。きっかけが欲しいのか?でもきっかけがあってもそこにすんなり飛び込んでいける訳ではない。
きっかけがないから何も出来ないんだと一時的に憤っても、例え何かのきっかけがあったとしてもたぶん私は何も出来ないだろうと思うから、タイミングが全然ないとかチャンスを与えられなかったとか思う事はお門違いなのかもしれない。

何かにあやかりたいと思ってもそのあやかりたいは少し邪で義務のようにも思えてしまう。
例えば地域の神社のお祭りがあるから、とか良いきっかけのように見えても近くで祭りがあるからこれは外に出る好機だぞ、逆にそれを逃したらチャンスは無いぞというような義務のようにも思えてくる。
確かに病院では何か定期的に(義務的にでも)行く場所を外に作った方が良いとは繰り返し言われているけれども・・・。
「~だから行かなくちゃならない」とか「この機会を逃してはもう行けないから~」とかそういう義務的な意識を持ち続けているのはしんどいなあ・・・とか思ってきた。

ああしたい、こうしたい、こうやってみたいという欲は一応出てはくるけど強い力の源にはならなくて、そう思った次の日には既に冷めてたり遠い出来事のように思えてくる。
長期的な将来にこうありたいとかこうなりたいとかそういうものが全く見えない。

・・・いや、本来こういう目標は若い学生の内に決めておくのかもしれない。
年をとればとるほど現状以上の展開や期待を望む資格は消え失せてしまうような気がする、それも何もして来なくて手元にも何も残らなかった自分みたいな存在には尚更の事だ。


お前は外に出るなと何者から言われたかのように外に出る事は私にとってとても高いハードルになった。
疫病禍の中にあって他人の視線が気になるという面もある。不要不急の外出は避けてと言われそれが厳密に行われた頃から、
「お前は一体誰なんだ?何なんだ?」と私がウイルスを媒介する得体の知れない負因子的な存在に見えるんじゃないか?と思われているように感じるぐらい私の存在は確固たる地位と理由を得られていない。
それはほぼ行動制限が緩和された今でも身近な所での警戒心は根強く残っているように思えて、私が外にいることで不要な目を向けられるのに身体も堪えられないからである。

それは私が働いていて社会の一人であったなら平然と突き出して堂々としていられたのかもしれない。たぶん、疫病前はそういう得体の知れない誰かとか何者に対しての警戒の部分がまだ寛容だった(今思うと逆に不用心じゃないかとも思えるくらい)ように思った。だからその寛容の中に身を置けた。人を隠すなら人の中というように。

でも今は魔女狩りのような意識がついたように、自分は不要(不用)な因子として認識されざるを得ないように思うのだ。
お前は楽しむな、そこにいるべきではないだろうという啓示のような、念があってそれが私の中に吸収されていくかのように身体はその通りだと私の言うことを聞かない。
制御がうまくできない。罪の意識のようなものが渦巻いているみたいに、外はいつの間にかそういうものの溜まり場のように思えてしまうようになった。

通院は唯一自分が然るべき立場にある。予約があって、私はそこに薬を貰いに行く患者の一人という肩書きがあるからだ。


自分が外では浮いているような存在に見えるんじゃないかと思ってしまう。大勢の人の中にいる人ではなくて、なんか人と違うんじゃないか変で浮いているんじゃないかという感覚。それを今まで私は集団に紛れられるようにしようとしたり、多種多様の中の一つとしての寛容さを頼りにしてたけれどなんか今はそういう雰囲気じゃないように思えて、厳粛さの中で私はやっぱり浮いてしまうんじゃないかと感じる不安。

そしてその厳粛や恐怖を乗り越えてまで手に入れたいものや目的も同時に消え失せてしまったので、その見えない瞳の下に私は萎縮するしかなくなった。

地元で3年ぶりに大規模で行われる食のイベントもたぶん大勢の人が来るのだろうけれども、不謹慎だとか厳正なルールだとかはなくなったように等しく見えるけど、それが監視の寛容であるようには思えなくなった。疑心暗鬼はずっと住み着いたままなのだ。

だからつまらない。すごくつまらない。
生きるのがつまらないと感じてしまう。常に監視があって楽しいことも未来もない。
「こうなりたくなかったら、こうするしかないですよね?」といった見せしめばかりが意地悪で悪趣味だ。人の不幸は蜜の味だらけ。
そして凄く面倒だ。何事も面倒くさい。

そんな変な向かい風や悪めいたものばかりの中で、そこをくぐり抜けてまで掴みたいものもないのだ。
よく気を逸らす方法としてスマホを見るとかあるけど、そんなんじゃ気は紛らわせない・・・。
全てが絶望に向かって繋がっているような道がどこかしこにあって、スマホもその一つになり得るんだ・・・。
嫌なニュースも良いニュースも氾濫する情報の各々について行けないし疲れるだけなのだ。


少しずつ空は秋の雲になっていた、鱗雲が見えたけれど気温はまだ暑さが残る。
微妙だと思った。時期的にまだミスマッチでもないのかもしれないけれど、秋というにはまだ暑いし夏というのはちょっと似つかわしくない。だからなんかそういう小さな微妙さがミスマッチに思えて鬱陶しく思ってもくる。


どんどん干上がっていくような気がする。どんなきっかけもチャンスも生かせない。逃すことしかできない。何もできない。