悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

1.9移ろい

暮れに繰り返す年末年始は虚しいと書いていたけどちょっとここで記しておく。癌闘病中というか自然観察にある父方の祖母があまり数値が良くないらしくもう既に余命幾ばくといった辺りにあるらしいと聞いた。3~6ヵ月とだいぶ具体的な数値でつまりは覚悟しておいてくれという宣告、でも本人には知らされていないそうで・・・。抗がん剤治療といった方法は出来なくはないのだがその薬に伴う副作用が祖母には耐えられないらしく(もちろん年齢の事もあり体力的にも)なのでそういった治療類はあえてせず自然の流れに見守る・・・といった形でやってきた。

私も直接聞いた訳ではなくおばやおじからの話を母などから聞いたのだけども・・・。とうとうこの時が来たというか、でもまあ私ぐらいの年齢にもなってまだ祖母が健在しているという事が幸せなほうなのかもしれない。生きとし生けるものは皆いずれ土に・・・とは言うけれど。そんな中で訪問看護のお医者さんたちからもまだ身体が元気に動ける内にどこに行ってもいいと自由にしたいことをしてもいいというお墨付きまで貰っているらしいのだが、祖母もメンタルが不安定でそういうものは無意味だと一切ダメだと拒否してしまっているらしく・・・。

もちろん余命だとかはあくまで目安であって、言われた通りに亡くなるという訳でもなく(母方の祖父はもう今週が山とか言われてたのが4ヵ月ぐらい延びた)最後まで可能性はあるのかもしれないけれど、ただこれからいつ倒れても亡くなる事になってもおかしくないという事は我々も熟知しておかなければならない・・・というこちら側の向かい方の話でもある・・・。ただ何はともあれ身体がまだ動ける内なら祖母には色んな所に行って楽しんで欲しい気もする。

 

そう思っていると自分はいつでも子どものままだなあとか思ってきた、それはもう当たり前なのだけれども。たぶん同じ年を繰り返しているように見えるのは自分がずっと子どもというかそのまんまだからなのだろうな・・・見えてないというか見ないようにしてる所で着実に物事は進んでいる・・・。だからその時その時は一瞬でしかないから同じ物事の繰り返しに見えて実はそれが一度きりという事もある。ただ普段の中にいると漫然として同じだとか思ってしまう・・・。だけど日常は一つ一つの積み重ねでもあるのも然りで、答えだとかそういうのもないものだろうとは思うけれど・・・。

自分の為すべき事はとか意義や意味はとか、こう何となく目まぐるしい世の中で自己を強く保っていられる自信もないし、なんて難しい時代に生きてるのかなあとか変な事思ったりしてしまいます・・・。