悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

日暮れに秋想

なんだかね、まだ何とも言えないのだけども昨日の夜に母から闘病中の父方の祖母が抗がん剤の治療をやめて緩和ケアに移行するらしいという事を聞いて、あーそうかと何とも喪失感というよりはまだ、ああもうそういう事なのかっていう気持ちになる。しみじみというか何というか。まだ受け答えも全然はっきりしていて元気なそうですが、その元気の内に会っておかないとな・・・という。私は今の状態になってからたぶん3年・・・2年くらいは会ってないなとか思い出しながらも、祖母自身も癌の治療ではなくメンタル面での不調でもって入退院を繰り返しているというのもあるのですが今度はいよいよ薬での治療は止めと緩和病院に移るのだとか何とか家も父親も相変わらずの状況なので、直接な情報を受け取っている訳ではないので微妙にあやふやなのですが・・・。まあ、思えば確か最初は7、8年前だったような気がするな・・・と。

年功序列で言えば人が亡くなっていく順番は当然自然の摂理ではある。そういえば父方の祖父は約10年前に癌で亡くなったと、そういう迎えとかいう意味もあるのかなとか思うのは余計な事かもしれない。いやただ私が思うのはこれはある意味当然である事で私もいい年をしている訳で逆に自分が小さい時~成人をすぎても祖父母が健在していた事が一般的に見ても良かった事だったのかもしれない・・・と思ったりしてくる。だから何というか私も摂理とか条理とかに従っているのなら家庭だとかそういうものを持っていてもおかしくはないし、もし自分の家庭なりがあればこうした出来事に対して自分の立場は一体何なのだろうという気にもならなかっただろうな・・・。

いや、単刀直入にいえばもう祖父母世代の人たちは亡くなっていくのが当然の年齢にまであって、何ならば父母もそういう年齢に差し掛かっていく・・・のはちょっとまだ早いかもしれないけれど。だけど世間一般とかそういう規範とかに照らしたら幾ら生き方の多様化とか社会問題が数多にある中でも、まだその分岐点にある中では一応そういう常識みたいなのがまだ通用する中にあると個人的には感じていて。

だからどうした、と言えばそういう年上世代が老いていく中で私はもういい年をしながらもまだ学生のような子どものような気分でいるなと対照的に知らされていく。

本来ならとっくに家を出ている年齢で独り立ちも経験してなければならないのだけども、そのどれもが全くなくて、たぶんもうこのままないんじゃないかとも思うけれど、その中でじゃあ生きていく事にどういう態度で挑むのか?何を糧に生き甲斐とするのか?アンパンマンの歌詞にある「何のために生まれて何をして喜ぶ、わからないまま終わる、そんなのは嫌だ」

生きる理由とか意味がわからないまま終わるのは嫌だと思っても、そう悠長に考えられるのはもっと若い時で、確かにずっと考えながら生きていくのもそれはそれで楽しいのだろうけど・・・現状何の形も残らず、何かに貢献している事もなく、自分はただ日々手元に残らない何かを追い求めてただ消費するだけで・・・。仕事してればまた違っただろうけど、何だか本当に何にも残らない日々を費やすだけで。

何だか書いてるとまとまらなくなってしまった・・・。

母やきょうだいは昨日の話にそんな「まあ、ね~」って感じだったけど意外に私が動揺しているのかもしれない。

ただ自分がもうそういう事に直面していく年なんだよなっていうショックのような気付きも含めて。