悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

頼れるという存在

今日からというか明日から自分周りの怒涛のイベントウィークなので緊張感が付きまとう・・・不安でいっぱいになる。一番の心細さは(誰にも)頼れない、頼れる人物がいないという不安。

完全に一人になる時間が出来るのもそうだし母が半日いなくなるのもそうで、家は半分が(父親と私が)精神病人なので頼りがない。きょうだいは仕事が忙しくて余裕がないのがわかるので頼る事はあんまり出来ない、なので唯一母が頼みになるようなところがあるのだが・・・(車に乗れるってのも大きい)母の立場からしたらたまったもんじゃないかもしれないけど現状頼れる人物は一人しかいない。そもそも病云々以前に私と父親は確執というほど・・・ではないかもしれないが仲はすこぶる良くない。

じゃあそういう状況なのにいなくなる状況をよしと作るのはなんで?と思うけどせっかく当たったライブには行ってほしい気持ちはあったからだ・・・。でも気持ちと身体状態それらはその都度変わるので不安は不安で緊張は緊張である。

そうやって思っていたら私は母に依存しすぎなのだ。仮に母が今突然に死んだりしたら、と思うと私はどうやって生きていったらいいのか見当もつかなくなる。路頭に迷った子どものようにその場に佇んでいそうな気配もする。

世間的には私はもういい歳をした”大人”である。たぶん同じ年の人で両親どちらかが亡くなっていたり、どちらも亡くなっている人もいる事なのだろう。でもその人たちにはたぶん頼れる存在が傍らにいるか新たな自分の家族という場所があるのだろうかと思うと、その元々いた場所(両親)を失う怖さは軽減されるよなあって思う。

それが区別できるというか自立という事なのだろうかと思うけど、私にはそういった区別ができないし場所を失ったらそのままそこに残るだけになってしまうのが不安になる。身体的にも精神的にも頼れる存在がいない。

こういうとき生まれた場所を内としてそれ以外を外としたとき、外に精神的に頼れる存在がいることの強さっていうのはどんな心強さなのだろう。それは所謂恋人だとかパートナーとかそういう言葉で表される存在なんだろうけれど。(あるいはとんでもなく密な友人?)

そういう存在がほしいのか?と問われてそうとは言えないし素直にわからない。

でも精神的に頼れる存在がいるという事の安堵感はどんなものなのだろう、そういうパーソンがいたら私の今の途方のない不安も紛れるのだろうか?

私ぐらいの年齢の人は世間では何だかんだ言われつつも家庭があったり恋人がいたりする人の方が大半なんだろうなと思う。だから私が母が亡くなったらどうしようとか考えて怯える事のほうが変というか幼い子どもそのまんまじゃんっていうね。家離れできない、でも怖いものは怖い。

「一人でも生きてけるぜてやんでぇ!」と思って生きていける強さなんかない。もしそんな肝っ玉を持ってたら今私が不安に思ってることは全部思ってないでしょう、考えすら思いついてないかも。不調以前は私もどこから湧いてくるのか根拠なくそう思っていた事もあったけど現実がどんどん近付くにつれてそれは虚勢であることが発覚した。不調になった一端はこの現実の突きつけなのもあるのだろうな・・・。

そういう精神的に頼れる存在がほしいのか、いたらそれも依存になってしまいそうだけれど・・・。でもそんな理想の塊のような存在は一方通行な関係が現実にあるものか?人と人は常にインタラクティブで双方がお互い影響しあって生きていかねばならないのに一方的に頼ってばかりでも消耗しない人間がリアルにいるものだろうか?

それでこそ信頼や安心感だけならロボットや精度の高いAIでもいいわけだ・・・。

 

話が脱線したけど、とどのつまりは私は外にも頼れるものを作らなければならないのでは・・・?となってきている事・・・でも恋人とかそういうのじゃなくて精神的な拠り所としての頼れる存在がいてほしいというよくわからないものであって・・・・・・難しい。

今日はこの辺にて終わります、明日また。