悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

飛んで行くしかない

魅力的な場所、行ってみたい風景、そういった場所を見ることも体験することなくこのまま死んでいくのかと考えた時少なからずそんなのは嫌だと自分の内側には起こるものの、現実という観点を通した場合”そこに行く”ことは今という過去の積み重ねの結果(未来)であるということもまた事実。スッと魔法のじゅうたんがやってきて素晴らしい場所に乗せて行ってくれるとかがあれば素敵だけどそんなことは現実には有り得ない。

私の住む場所が遠いっていうのもある。せめて陸続きなら車で遠出なんてのも出来るし歩いてでもそういった場所に旅立つことはできたかもしれないと思う。県を跨げば同じ国内といっても地域の文化慣習違いはある。トタン屋根なのか瓦屋根なのか。植生だって違う。そういった些細な違いであっても面白いし興味深い。あるいは話題のスポットや定番化した観光名所も様々なメディアで見た時と実際に行って見て感じた空気は違うものだ。(意外にあっさりしていると思う場合もあれば、感動する場合もある)そうした魅力的な場所が多くあると思ってもこれから私はその多くを知り得ることのないまま終わるのだなという悲観に暮れる。

占いによると華やかなものや華美な行いは夢見てはいけないらしい。ナチュラルでシンプルこそが目指すべきあり方なのだそう。

つまり毎夜セレブがあつまるレセプションパーティーに参加するというような事は性に合わないという事だ。(これは極端な例)そうでなくとも例えばちょっと贅沢してお高めなホテルのお食事を楽しむとか宿泊を体験してみるとかそういうのもダメなのかな、ちょっと高級な食事とかそういうのを(一度だけでいいけど)食べてみたいってのもダメなのかな。清貧生活。

あのcwニコルさんのような自然生活とか別荘のような工房のような場所で暮らすのは?ナチュラルに溢れてるけど華やかでもあるような気がするが、でも憧れはある。

夜の東京タワーが見てみたいとか夜景を眺めてみたいのは、多くの人が経験体験してきたのであろうことを自分は全然経験してきてなくて機会を逃すというか機会そのもの自体がないような気がしてくる。これは自分のこれまでの敢えて王道を避けてしまうような天の邪鬼な性質もあるのかもしれないけども、そんな恥ずかしいとかなんて横においておく。王道は通っておきたい。それに触れることで初めて見えてくるものがあるだろうし。

夜景の王道といえば、昔学生の頃の研修学習で函館に行った事があった。長年北の地に住んではいたけど函館に行ったことはその時は初めてだった。(通過ってのは2回あったけれど)研修といってもほぼ自由行動なので夜は函館山にロープウェイで登って夜景をグループの仲間と見に行った。天気は快晴とはいえなかったけどちゃんと夜景が見えて、展望台には夜21時とかぐらいだったにも関わらず大勢の人がいて(ロープウェイのゴンドラもかなりの満員だった)皆思い思い綺麗だねなんていいながら写真撮ったり夜景を眺めていた。

実は当時の自分はまだ若くてその時夜景は別に見なくていいかなとかロープウェイ代も結構高いしなとかそんな風に思っていたのだけど他の仲間は乗り気だったからそれに付いていったって感じだった。(何とも自分のケチな性分が出ている)けれど結果的に行って良かったと思う、いい思い出として記憶に残っているのだから。(あの時の仲間には感謝)

色々な見聞録を眺めてここは行ってみたいとかこんな場所があるんだとか思ってみても遠くて遠い。海を越えるって大海峡橋でも架かってたら遠いと思わなかったかもしれないっていうのはそうで、氷河期の間も中心は川のように海が残り明らかに植生や生息動物にも違いがあるっていうぐらいなのだから見るだけで遠い場所なのだ。一応海底トンネルはあるけど電車専用ならほぼ手段は限られる。

 

余談だけど遠出で岩手に行ったとき、本州だなというのを感じた。この道路をあちらにいけば秋田○km、あちらにいけば仙台○kmとすぐ隣県。あとここから東京まで○kmという表示とかがあった気がする。凄いなと思った、歩いていけば必ず着くのだものな。奥の細道じゃないけれど。