悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

じめっと溶け出した

連日安定剤を飲む量が増えていて耐性がつき始めているのを感じる。気温がこの時期にしては例年より暖かい(私には暑いと感じる)のもそうだが、家の中の緊張感みたいなのが再び現れ始めたような気もする。

本来処方されている規定量以内をフルで飲むと今はまだ気だるさとか余韻があるので本来はこういう状態を自分の力で起こせていたのになと思う一方、この状態ならカフェイン通常分の缶コーヒーを半分飲んでも平気だろうと思って飲むもあえなく沈む。ジョージアのエメラルドマウンテンは美味しいけど飲んだ後にじわじわと身体が沸き上がってくるような感覚に耐えられなくなって、午前中既に安定剤を1錠半飲むという。毎回いつもこんな事を書いていて学習しないのかと思うが普通に缶コーヒー一杯ぐらいは飲めるようになりたい・・・ただ飲んだ後の身体の反応に対するケアに戸惑う。よくコーヒーを飲むとホッとする、気持ちが安らぐという感覚は往々にして書かれるけど以前は確かに自分もそうだった。逆に興奮作用はどこえやら・・・?というぐらいだったのだが・・・安定剤の作用で翌日にも落ち着きが出てきたからとコーヒーを飲めるようになるとはまた別の事のようだ。悲しい。

あとこれは仕方ないのだがきょうだいの連日職場の愚痴を聞かされるのもちょっと辛い。職場が時代遅れの考え方の上司ばかりで終わらない仕事に追われる、まともな人のいない職場。新年度になってから毎日仕事を辞めたいが口癖になってしまった。ならもういっそ辞めてもいいとか思ってくる。経済的に働かないのが父親と私の二人いて、母の収入だけではとてもやっていけないので家はもう完全に生活が終わるけど別に家に縛られる事もない、きょうだいの人生は結局はその人個人のものだし、そこで引き留めたりするのも毒・・・にあたるのだろう。

私も本当は今すぐにでも生活の為にお金を得なければならないのだが、社会人経験は0でバイト経験も0という家にいる歴が二桁以上の身で何が出来るのかと思えば何も出来ない気しかない。存在意義とか理由とか、目的とかが何もない。私と同じ世代の人は今が流れに乗ってる年齢なのかもしれない。その流れに乗っていれば自分の人生も少しはマシだっただろうかと考えるが、いや私にそういう事は出来ない。

 

ここからは現実と空想の境目に当たる話で人によっては重たく感じたり不快に感じたりするかもしれないので閲覧注意

思えば自分は小学校と中学校と二回不登校をしていた。中学校は見える原因があったけど小学校は(私の中では原因はあるが)曖昧にしていた為に周りからはああだこうだと言われた。今でこそ不登校はそんな珍しい事でもないような感じがするが当時はまだ珍しいものだった。親からは嫌なことから逃げてるだけだとか特に父親からはよく学校に行けと怒鳴られたり蹴られたりといったような振る舞いをされた事もあった。(母からも怒鳴られる事があったりベッドを蹴られるような間接的な嫌がらせとか)私は毎日泣いてばかりだった気がする。勉強が好きだったして毎日勉強してたらまだよかったかもしれないがそういう器ではなかったのもある。親も私のそういった事態に不安や苛つきが溜まっていたのだろう。当時の不登校事情に明るい先生の話や創価だった為そういった幹部だかの人々の話やらを聞いていつしか別室登校させて貰って最終的には教室で過ごしたと思う。

中学の時は明らかに嫌がらせしてくる相手がいたのだけど複数人いてクラス中どころか学年全体にも影響力が強い人々だったのもあってどうしようもできなかった。この時親には言い返してやれだのとやっぱり父親からは嫌なことから逃げてる社会には・・・といった説教をくらうが言い返せたらそもそも悩んでないし、親に悩みを言おうにも言い返せとかそういう言葉しか返ってこないので相談も何もなかった。相手がその人だけだったらなるべく接触しないで済んだかもしれないけど相手がクラス中の人々に話しかけて自分の仲間を作ろうとしてるのが目に見えてて四面楚歌な状態だと思って、友人はいたけどこのままだとエスカレートしてきて友人たちにも影響が出てきたら嫌だと思って行くのを辞めた。2回ほど朝学校に行くフリをして行かないで近くの公園で時間を潰してすごした。学校から来てない(欠席なのかと聞かれ当然連絡入れてないのだから欠席ではない)と連絡が来て、じゃあどこにいるんだと探したらしい。今は自死という決断に至る事もあるけれど私にはそういう決断力はなかったためずるずると生き長らえてきたものだ。中学は1年の時だけ楽しくすごしてたが教室登校は2年生になって6月くらいまで。別室登校を挟みつつ教室復帰を目指していたが最終学年になって決定的な出来事が起こって行くのを辞めた。

それから一応進学は出来たけれど就職という段階になって今に至る。

こういうような感じで過ごしてきて逃げ癖がないかといわれれば逃げ癖はあるように思う。根本的部分というのか、なんていうのかそういう場所に染み付いた恐怖や不安というのがずっとあって、それは今家にいる事ですらも矛盾がある。話を聴いてくれなかった寄り添ってくれなかったと感じる思う親のもとにいる、ただやり過ごして怒りや不満や不安を感じながら生きてることの矛盾。でも自分にとって社会より家の方が安全なのだという確信のような離れがたい気持ち。

 

考え方の影響というかいまだに恩を返せていないのだけれど、中学校時代に親身になりすぎてくれていた(と私は思っている)先生の考え方には助けられたなと思う、怖いなとか疑念を抱く事もあったけどでも今になっては先生が理解してくれていた人かもしれないと思う。それから紹介していただいた外部教室の先生たちも、当時の私は変な反発心があったのだけど、今になって話を聞いてくれたのはあの方たちだったようにも思う。お世話になりっぱなしで現状の私も普通の一般の一つにもなれてないしで何にも返せてないけれど・・・。