悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

考えはなし

風強すぎて窓じゃなくて家の中の扉から風音聞こえてくるなんて不思議なものだ。

アンパンマンの歌詞は深い。何の為に生まれ何をして喜ぶ、その意味がわからないまま終わるのは嫌だ。その問いの深さ、でもたぶん殆どがわからないままで終わるのだろうな・・・。生きるとは何かというのは哲学者とか思想家の人たちが色々考えて一応結論出してたりするけども、実際にその答えに納得出来るかとかは別の話で、時代背景とかも変わっていく中でその価値観も微妙に変化していったり・・・。

話は反れるけれどシャツinズボンとかある時までは標準である時はダサくて有り得ない(私はここの価値観辺りの時代だった)って感じだったけど今はシャツ出しでもシャツinズボン(ちょっとアレンジされてるかも?)でもそんなダサいとかダサくないとかなくなったように思っていて、これは価値観の多様性なのだろうか・・・。腰パンとかが酷い時代だったりスカートは短いのがとかとんでもない学生時代(ついていけなかった)だったけど、今は人それぞれしたい人はしてしたくない人はしなくていいって感じになってるのはいいなと思う。

でも前Y2Kファッションとかあってなにそれと思って調べると2000年前後の頃のファッション(露出が多いやつ)とかあってへぇー?とかなった。確かに今流行を作り出している世代の人は若いときにそういうファッションだったという事でその自分たちの時に流行ったものを流行らせようとするリバイバル・・・。うーんそれはどうなのか・・・?

結局上の世代が昔と同じ感覚を持ったままではよくないという事だろうか、私も同じくだけど。でもリバイバルで刺さるのは現代の若者たちではなくその同世代だった人たちって感じがするかな・・・いやだから何だって話ではあるけども。

昔の記憶とか過去っていいお値段がつくようになったな・・・って思う時があって個人的にそれを感じたのがNintendo64のマグカップだったな・・・。(購入権がswitchオンライン+メンバー加入限定だった気がする・・・今は普通に買えるかもしれない)思い出商法とかそれ自体悪とは言わないけれど(むしろありがたい面もある)個人の体験とか記憶とかそういう目に見えにくいものにもそれなりに値段がつくようになったなあーと思う。(見方変えればただで遊ばせて貰ってる方が・・・とか言えたりもするけどこの際その観点は少し置いておいて)

これから個人の記憶とか体験とかが高額で取引される未来が来たらどうしようとか、SFの空想の話で物語にしようかなんて思って少し考えていた。記憶や体験の中でもランクがあって高いものは凄く高いとか安いのは安いとか、でも記憶自体はもともとがそこそこの値かなとか思ったり。じゃあ誰がその記憶や思い出を買うのか?ってところが難しくて考えられなかった。誰が買うんだろう・・・。ロボット?AI?「誰か」になりたい人間?ってとこで煮詰まる。

すごい話がまとまらなくなった。

生きる事とものの価値とはどう定義付けられ決まっていくのか、普遍的な価値があるとしてそれと実際に今を生きるという事の整合性あるいは意味は果たしてあるのか。

それっぽい言葉を上辺だけ羅列してみたけど全くわからない。

大目標を立てすぎなんだ小目標(チェックポイント)から立てていけば自ずとわかってくる・・・だろうか、謎。時間だけは平等にすぎていく・・・