悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

続報

鬱蒼としてるので注意

文章がうまく書けないな・・・書きたい、書こうと思った内容も文章にすると一文で終わってしまう・・・。逆にそれは書きたいと思ってないんじゃないか?という事なのかもしれない。感動できないっていうか感受性があんまりなくなってるか元々その出来事に対する思いとかそんなになかったのかもしれない・・・。(忘れてるだけとかだったらいいけれど)

昨日とかの記事とは温度差あるけど生きてる意味って何だろうとか思ってくる。人生とはうまく行くことも行かないことも人生なのだと言われれば元々人生とは不公平なものだという事になる。でも不公平だとか不運だとか思ってしまうのだとすれば生きていくモチベーションがなくなる、それはマズいよねということで何とか折り合いをつけていいと思える部分を探したり(そういうのが趣味だったりして)して何となくやり過ごしていけばいつの間にか人生はそんなに悪くなかったとか思えてきたりするもの・・・だったりするのかな。

家の経済事情が底を尽きそうなぐらい悪いものなのだそうだ。父親が通院をしてから2年経つが今の生活を支えられる資金がもうない、今までなけなしの貯金で何とかなっていたのが底を尽いてきたというのだ。私が直接話しを聞いたわけではなくきょうだいからの又聞きなのだが精神病人二人分の診療代(父親は定額援助の対象になっているが)特に最近私の診療代が高くなっているので私も一端と思えば苦しくなる。

それでいながら父親は相変わらず酒を飲む時だけは起きてくるか、珍しく朝から起きたとしてももずっとスマホを弄っているだけで行動がよくわからない。と思えば一日中起きて来ない(ご飯を食べない)という日もあって気まぐれも気まぐれ。処方された薬も毎度飲んでるのか微妙なところである。ちなみに昨日から今日にかけてはWBCの試合があったため起きてきているがその気まぐれすぎる行動に母のイラつきも相当たまっているらしい。

そろそろ家の貯金が尽きそうだと言う話しをしても(私にとっての)叔母に借りればいいなどというような事を言っていたと今日聞いて驚愕した。どこまでクズなのだろう。父親はもう完全に働く気はないのは見えている。少し早めのセカンドライフ、リタイアのように思っているのかもしれない。

それで家(一応持ち家である)を売り払ったりしなければならないとかあるいは離婚するかとかそういう状況も視野に入れなければならない状態が近づいているらしく、今の生活の状態を支えてくれているのは主にきょうだいなので、きょうだいも自由に出来ないという雁字搦めの状態である。

こういう話しを聞く時にいつも私が働いていれば・・・と思うのだが、そうであればそもそも私も病になってたりしてないのだろうから悩みや苦しみとは無縁だっただろう。病になった今は自分が働いていればと思うことも苦しくなってしまうのでどうしようもない、ただゆっくり滅びを待つだけである。

そして私も何もしない。クズの子はその通りクズなら意味のない人生、何の為に生きるかよくわからない。

 

精神的な病は年を取ればとるほどなかなかすぐ元気になる事は時間がかかる、でも完治しないわけではないと私の通院先の先生に言われたけれどやっぱりそういう事なんだなあと思えてくる。以前の時は本当に一時的なものだったけど今回は一時的では済まなくなったのも年齢の故なのだろうかと思うとその通りだ。

もちろん父親の改めることのない生活態度(病にかかる前と同じような晩酌癖など)を見てると先が重たくなってくるのもある。ジリ貧なのだ、私も社会人として働いた経験が一切ないから老後やこれからを考えると自決したくなる。ある年齢の境の前に自死した方がマシだと思えてくる。

私が働けない/働かないのも自分にお金を生み出すほど、人並みに何かができるとは思えないからというのもあれば、働くということは何度も土下座して働かせて下さいと頭を下げなければならないということ、今まで私は就労経験もない社会を舐めた甘い人間だったからそれを改める為にここで働かせて下さいと必死に訴える、そういう光景しか想像出来ないのだ。

不思議だ、何でだろう。

今働いてる人の方が会社を選ぶ時代だとか雇用されてる側が自分の要望を通す事が出来るというかそういうのが出来て良い会社とか見極めとかいうけど、そういうのどこの世界の話しなのだろうと思ってしまう。じゃあ、あなたは何が出来るの?というのはどこも共通なんだろうけれど。何も出来ない人がじゃあ何か出来るようになろうよといわれるような事はほとんどなくて、何も出来ないけど働かせて下さいとただ言うだけで、なんていうか私は雇い主の靴の裏を舐めるぐらいのような価値でしかないのだ。そこで自分のプライドが身を粉にする事も出来ずにそんな事をするぐらいの社会なら出て行きたくないと思ってしまうのだ。

思えばこれはたぶん子どもの頃の条件なのだろうな、父親は昔からそういうよくわからない人で、機嫌によって態度が変わるので例えば何かしらの細かいこと(食事の時の態度が悪いとか)キレられた時にこちらの理由も聞かないのでほぼキレられたら、こちらが許されるまで謝らないといけない。もう二度としませんとかこれからは気をつけますとか、全部私のせいだった。幾度か反論しても頭ごなしに否定され、私が悪すぎるという態度。挙げ句力でねじ伏せられたら怖いので、私も納得が行かなくとも自分が悪かったというしかない。(そこもミスると何だその態度は?と論点がズレて広がっていく)手を出してくる可能性がある人なので母もきょうだいも基本助け舟はなかった。(助けてもらっても今度は母が父親にキレられるのでね)

そこで社会はおまえ(私)みたいな弱い人間は出ていけないだの言いながらニートにはなるなといい矛盾し放題だった、その時その時で言ってる事が変わる。でも結局私はその言葉通りになった、社会は私にとって怖い場所。中学のときの嫌がらせいじめみたいなのもあって高校、一応大学とすごしたけれどずっと怖い場所のままだった。学校はまだ学ぶという場所の性質だから皆優しいけれど会社という場所は社会はお金の為に動いていてそれに見合った能力のあるなしで決まって、到底自分にはその能力があるように思えなかった。それに私が怒声を張られると涙ぐんでしまう性質の為、たぶんそのような人間を見守ってくれるほど優しい人間は(私の想像上ではあるが)会社という社会にはいないように思えたからだ。父親のような考えの人間が大勢いる社会で私が上手く人生を渡っていける事などない。

そうやって結局私は人生の底で躓いて、何だかな意味があるのかなどと無意味に考えて。

もし目にしてくれた方がいらっしゃったらありがとうございます。ポジティブエネルギーの充填する時にネガティブな事は書かない方がいいのだけど、吐きたくなった。思ったより長くなってしまったのとたぶんこの記事はその内に消すと思う。アカルイミライエネルギー、したいから