悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

メランコリックに

不安が全くの杞憂という訳ではなかったが大幅に生活が変わることは今のところすぐではなくなった。異動はやっぱりあった。でも不安に思っていた遠くではなかったので、少しだけホッとした。でも違う場所で・・・という事には変わりないので今までと全く同じではないだろう、なのでこれから先少しだけ生活はやはり変わる事にはなりそう。

昔はしばしば転勤という出来事が憂鬱なように描かれているのを目にして何故そんな嫌なことなんだろうか、家族がいて子どもがいるならその子どもからしたら転校とか落ち着かないかもしれないけど、1人とかならむしろ楽しいんじゃないか?とか若かりし頃は他人事のように思っていたけど、実際そういったような出来事に目の当たりにするとその都度引っ越ししなければならない可能性などを考えると確かに異動とかっていうのはなかなか大変な事だとやっとわかる。若かったらあんまり思ってなかったかもしれないけど年を取ってくると腰は重たいし身体も軽く出来ないなと思った。

なんていうか自分から異動を志願するなら楽なのだろうけどその知らせを待つ間の不安が怖い。いざ遠いとなったら引っ越しになって短い期間の中でへとへとになる。単純にすると能動的か受動的かの違いかもしれないのだろうけれど”待つ”という事の苦しさとかってやっぱりイヤだなと思う。

 

年を取ると色んな事に対して億劫になるというか臆病になる。私の場合だけかもしれないがたぶん年を経ても行動力があり進んで行ける人は少なからず若い内にそういう移動するだとか別の場所に住むとか様々な経験を積んでいるのだろうなと思った。下地があるからこそ、そういったベースを早い内に作っておくというのはその後の人生を歩くにおいても重要な事なのだろうなと何となく思う。私にはそういったベースがほとんどなくてずっと臆したままだと思った。それでも気持ちの上では自分から消えて去った方が楽だというのがあって、私の中で理想は出来ない事をそのまま想像するためにあるかのようで、文字通りの理想でしかない。

私はいったいどこで何をしているのが正解だったのだろう。

同じ年代の人たちは皆自分が守るべきものが守っていくべきものを持てていそうな気がする。でも私はそういったものを持ちたいという訳でもなく、結局やっぱりどうしたいのかよくわからない。

私はどうやって生きていくのが合っているのだろう。