悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

南の島のおうさまへ

当てもなければ何の取り柄もないけれど、此処ではないどこかに行きたい。何でか精神の一部分だけはえらく前のめりなのだ。東京とか外国に憧れがある、そういった場所で健康的に働けてたら楽しそう。

なんかどこかの国に不安症や神経症がない?みたいなのいつかどこかで目にした気がするのですが、それが欧米などなら不安症なんてないんじゃ・・・と思っても意外とそうではなくて「明日世界が滅ぶかも」とか「誰かに命狙われるかも」「自然が消えてゆく」とか欧米の方がよりスケールでかくて細かな不安を持っている人が多い*1のかもしれないと個人的に思っている。だから不安っていうのは国を越えてもわりと共通だなあと厄介だなあと。精神医学が発達してるのもそういった薬もほぼ欧米が開発先発だし・・・。

で、どこの国なら不安がなくなるかっていうのは本当に実証があったかどうかも不明なのですが、どこなのか?なんか南の方(おおざっぱ)だったと思う。アフリカだったか東南アジア、南米いや南太平洋に浮かぶ島々だったか。

太陽光が常にあって比較的温暖な地帯なような気がする、確かに日照時間と鬱の関係は今でも言われているし、暖かくてエメラルド?ブルーな美しい海と照りつける太陽!の下にいたら自然と楽しそうな気がしてくる。

でも自分がここにいてもいいのか?という考えが起きないようにするにはそういう完璧なロケーションの他になんかありそうだと思って・・・なんていうか考える時間がないという事がそういった不安を遠ざける事にもなるのかなあ・・・と。船に乗って今日明日の食べ物を釣りにいくとか、畑で作物を栽培するだとかそういう生きる事に直結した行動をとるというのがなんか必要なのかなって。逆にそういうのが上手くいかなくなった時に不安に駆られるんじゃないのか?死に直結するじゃんとも思うのですが・・・。でもたぶんそれはその日だけ、の事だったりするのかなあ。

この「明日はよいことあるさ」な感覚って、これ既に不安を自覚している人がそこに行って暮らすのでは不安は除けなくてずっとそこに生まれ住んでいるから不安がなくなるのかなあ・・・どうなのだろう。例えば今からニューカレドニアマダガスカルなどに行ったりして私の不安に思う神経質な心が生活していくことによって拭える・・・のだろうか・・・?

いやその場所に住んでる人々がどういう風に生きてどういうメンタルを保って生活しているのか、なんてのはわからないし日々幸福感だけで生きているようにも考えられないのだけども、神経質的な不安があんまり見られないと言われたら気にはなる。どういう生活を送っていたらそうなれるのか・・・?

一番最初に述べた外国や東京への憧れって例えでいう幸福な島の暮らしとは恐らく正反対で、明らかに富とか欲を意識してしまっている。だってそういった場所で健康に働ける人は立派で凄い人、限られた人でないいけないのだからという選民意識と優劣意識に囚われている。それってただの欲深というか見栄っ張りで虚栄心でしかない、だから私は結局未だにそういう欲心を持ってしまっているのだなあと思う。

欲は欲として自宅と東京or外国を行き来するような生活してみたいとは思ってしまう。何にも出来る事ない、スキルも知識もアピールポイントも目的も本当に何もかもないけれど。でもそう思っているうちに現実とのギャップの深遠たる溝が目の当たりになる、くすぶってきて不安が出てくるのだろうな・・・。

でも不安や気に病む事がないという国が本当にあるのなら行ってみたいです、一体どういう場所なのだろう。でももしそんな場所が実際にあるとすれば概念としての楽園とは・・・・・・。

 

年内に毒抜きというか掃き溜めしておくウィークお目汚しすみません・・・。

*1:だからキリスト教など宗教の神と個人との約束事が心の拠り所になるのかな・・・