悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

コミット

誰かと仲良くなりたいのか友だちと言える存在を作りたいのかわからない。けど、そう思うのだからそういった親しい人という存在が欲しいのだろう。
私は他人に対してずいぶん身勝手だと自分でも思う。仲良くなりたいと思いながら一人にして欲しいとかなりたいとか思い、四六時中一緒にいるなんて無理耐えられないと思いながら実はそういう空間に憧れる心も持ち合わせていて他人に対して私が想い描く距離感がよくわからないと思った。

例えばオタク的人間同士の濃く密な関係に憧れがあった、フィクションにもよく見られるけど誰かの家に集まって酒を飲んだりご飯食べたりゲームしたりしながら朝晩まで語り合うようなそういうものとか、どこかの温泉宿に泊まって夜通し話大会みたいなそういう元気があってバイタリティに溢れたような空間。

私自身、そういった濃密な友人関係にはよくそんなに一緒にいて素の自分を他人(友だち)にさらけ出せるなあと遠い事のように思う。誰かと食べ飲み眠ること、ずっと昼夜をともにするなんてどこかでボロが出てしまわないか、絶対気を張ってくつろげないだろうなと思う。
だが同時にそれはまだそういう気のおけない人に出会ってないからなんじゃないか、という希望的観測のようなものまであって、たぶんこれはその通り夢であり希望でしかないのだと思うが、この世界のどこかにきっとそういうパーソンがいるだろうというのは心のどこかにあるのだと思う。

シェアハウスだとか共同生活とか興味はあれど実際にそういった選択肢をとることはないだろうと思うしそういった事に嫌悪さえ抱いていたけど寂しいと感じる心がいつの間にか自分の中に大きく育っていたようである。

理想の友人関係とはどういう関係なのだろう。
「遠方より友来る・・・」という論語があったような気がするけど離れていながらも会ったら話で盛り上がれるようなお互いの存在を忘れていない関係には理想で憧れがある。

たまに会いにきたとか話そうよとか言う関係なのかな、でもそういうのってどう維持すればよいのかわからない。こまめに連絡を取ることなのか、どういう連絡を取ればいいのか?嫌われないようにするためには?といったような事が出てくると義務感に押しつぶされそうである。

嫌われないために、というのが念頭になると友だち関係もとても億劫になるのだった

私が他人に求める気持ちが重たいのかどうか、ただ安らげて楽しいと思える安息の場所が欲しいのかもしれない。
それでも今は何かをみんなとやりたいと思い、話しあえる仲間が欲しい。
活動を報告しあい、近況を語りあえるような純粋な人の交流に飢えているのだ。

一人でいることに価値とプライドを保つことは私にはできないみたいである、お一人様に憧れもありつつ私の本質的にはおひとりはできない性分らしい。何か同じ志や意思のもとに所属して何かを成し遂げたいと思った。秘密組織のようなそんな怪しい変なグループではないけど、ただそんな世のため人のために義賊をするのも悪くはなさそうだと思った。