夢の中でもはてなにログインしようとしてたけれどパスワードが全くわからなくなっていた思い出そうとしても何か違う一字違う・・・ので現実でもログインできるかなと思ったけど普通に覚えている。なぜ夢の中では思い出せない=わからなかったのだろう。もしかして脳の記憶に残っているのではなく手の動きで覚えている・・・?
最近なんだかたぶんこの不安は寂しさのせいもあるのだと思う。寂しいのなら寂しいと言いなさいと占いに書いてあったので言う。
なんかふと昔に私と関わりを持ってくれた人たちの今が気になる。皆同じ年なのはもちろんだけれども、仲良くしてくれた当時の友だち友人仲間たちは今現在どうしているのだろう。
友人ならばメールSNSなどで近況聞きなさいよと思うけど、私には微妙なリセット癖というか不通癖があるので自分から連絡を取りに行く性質ではなく基本受け待ち。でも受け待ちでも誘いは断ってしまうなので、連絡先デリートとかはしないけど徐々にフェードアウトしていくような感じというか何というか・・・。
ここに回避性コミュ障の性質が出る。
あの時のあの人たちは元気かなあ・・・と思うものの物理で連絡先知らないのもある。小さい頃とか小中学生の頃の人とかは全くわからない、もう地元にいないのかもなあ。東京とか外国とかで暮らしてたりして。昔からこうやって都合よく気になりはするもののいざじゃあ会おうとかいう段階になるとやっぱりごめんとなってしまう自分の面倒さ。なんていうか私は友人という存在との付き合い方距離感がわからなくて想像の中では近いけどリアルでは遠くなってしまう・・・みたいな気がしてる。
その場にいても受け身すぎるほど受け身で場を盛り上げることとか出来なくて、自分がいることで空気悪くなったり雰囲気が盛り下がったらと思うと嫌でこれは学生時代からずっと自分につきまとっていた感覚でもありたぶん経験則としての学習でもある。
何も出来ない(場を楽しくさせるような事)のに自分はその場にいていいのだろうか?かえって気を使わせてしまうだけじゃないのか?面倒くさい子だなって思われてたりしないだろうか?その意識が常にあって断ってしまうから自然にフェードアウトになってしまう。
だからこうやって私は想像上でだけ親しくなっている・・・。皆どうしてるかな今も推し活してるのかな家庭があるのかな・・・幼小中高大と仲良くしてしてくれた人たちは皆元気で平穏無事に暮らしているのかな・・・。
ご一報下さいとは上から気取った冗談だけど私は何とかギリギリ生きている状態です。近況を知る事でほっとする事もあるのかもしれない。
やっぱり何か心の淋しさがピークなのか感傷的になっている・・・。
少し逸れるけど小学生のころタイムカプセル・・・と称して小さな缶の入れ物に手紙と何かを一つ入れて開けられないようにテープでグルグル巻きにしたものをお互いの家々にて交換して保管するというのをした。十年経ったら皆で会って開けようと言って。それは私の机の鍵付きの引き出しの奥に未だに眠っている。今後開けること捨てることも出来ないなーと思ってたぶん最終的に机を棄てるまでは残っていると思う・・・からだいぶしばらくは保管されたままになると思う。
調子のいい内弁慶な私が皆様お元気でしょうかと思っているんだけど、何かの折で対面が可能になったとしても私は対面だときっと後ろめたくなるのだろうな。イマジナリーフレンドってそのまんまじゃないか・・・?
でも連絡取り合ってお互いがわかるっていいなと思う人との繋がりの中に人は生かされてるから、自分みたいに隔たりを広げてしまえばしまうほど居場所がなくなる、孤独になる。それでも私は自分から連絡を取るとかが苦手で社会との交流や交遊を詰んでいるのだけれどもこういうのも結局その社会の中の一つなのかと思うとそれも無常、そうなのかもしれない。
でも近況が気になるという衝動がある。この陽と陰の混ざってよくわからない気持ち・・・