悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

窓辺にて

今日も暑かったけど昨日よりかはマシなように思った。ただ部屋の中は湿度高めでじめっぽさは昨日よりか有り。日中、風は涼しかったので少し窓辺で涼みがてら外を眺めていた。
ジュースカップの紅茶を片手に窓辺、なんか久々に良い時間だった。

涼しいといっても夏の風なので少し残る生温さ、夏の木々の緑っぽい匂いがする。
日光に直接当たったわけではないけど日光浴したような、外にいるような気分になった。
ずっと外で飲み物(甘いコーヒーなど)を飲みたいと思っていたから疑似的にだけど外で飲んでいるような感じがして良かった。


家の前は道路なので歩いている人、走っている人、自転車に乗る人が今日はたくさん通っていた。小学生から中学生ぐらいの集団(何らかの課外部活動だろう)も走っていた、暑いなんて言いながらも皆懸命に走っている、若さを感じた。


こうやって眺めていて、なんとなく外に出たいとは思うのにいざ準備をしようとすると不安で苦しくなってしまう、この状態がもどかしい。

今まで、自分がどういうモチベーションでいて外に出ていたのか、わからない。家にいてもつまらないからと思ってとにかく外に出たら楽しいかもしれないという不規則な要素に願うこともあった。
でも今はその不規則の楽しさも感じられない、遠くから眺めているだけではそういう不測も希望的観測として思うけど本当に自分がそういう行動を取ろうと思った時にはそれが不安定で不測の事態にしかなり得ないと思ってしまうからだ。

それは何故なのだろう、実は私自身は生活は何も変わってないのだ。ただ変わったのは私の周りの環境、状況であって。私の生活スタイルが不調になる以前と大きく変わったわけでもないのに。それなのに自分はもう以前の私ではいられなくなった、この自分を揺るがす恐ろしさ。これがどうにも拭い去れない。

加齢という自然現象についていけなくなったのか、だとしたらそれを拭い去るには人間をやめるより他はなくなるけれど・・・。
それでも皆それを深刻にそういう風に思って気に病みすぎて身体を崩す人はあまりいない。
だとしたらやっぱりこれは私の社会的立場の有無で、全くそういったものが私には無いからそう思うのだろう。

だけれど、仮にもしこれからそういった場所が運良く私に用意されたところで以前のように何も考えられないでいられるかはわからないとも思う。この恐ろしさは一度それに触れてしまったらそれがずっと残っていくような気がしてならなくて、目覚めたものは眠らせることが出来ないような気がして、それとうまく付き合っていかなければならないようなものように思って。

だからこれから、私は一体どう何かをしてもこの不安とは供にしていかなければならないのかと思うのだ。




余談 
某百円ショップでエジプトの神々のイラストとコラボレーションをしているらしく、お土産にと買ってきてもらったクリアケースがなかなか可愛いかった。エジプトというとトゥームレイダーシリーズを思い出す、特に4はそれまでのシリーズとは毛色がちょっと変わって終始エジプトが舞台なので攻略本を見ながらラストまでやったな・・・と思い出。