悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

輝きのレッテル

どうしてみんなそんなに元気なの?と思う。

その方が実際に元気かどうかは私という第三者から見てはわからないものだし、個人的で勝手なイメージで判断してるからその方々からすれば「私は本当は元気ではないのに元気だと見られてしまう」という苦痛があるのかもしれないけれど。
それでも私の目からおおよそ表面に出されたものを見た限りでは元気なように思えるもので、皆バイタリティにも気力にも溢れて満ちているように見える。

特にはてなトップに上がってる日替わりトピック記事等を眺めていると外に出て皆本当に色んな物事を体験しているように見えて、行動力やバイタリティに溢れている人たちばかりだなあと眺めていて思う。
実際は「いや全然元気じゃない」という状態なのかもしれないけれど隣の芝生は青く見える。

推しのライブの話とか海外旅行や留学インターンの話、国内旅行やアウトドア、外の散歩の話・・・等々の外の話(写真付きだったり)を見ると元気だ、凄く元気だ・・・と思わずにいられなくなる。
けっこう『推し活』とかって、外に見に行ったりする人多いのかーなんて思わされる。(このあたりは私が出不精なのもあるけれど・・・。)
それでもその何かや誰かに実際に間近に会いたいという熱意が行動を突き動かす原動力になるのはもちろんで、喫茶店で美味しいコーヒーと甘いものが食べたいという想いも熱意になる。

外国の路地や街並みを見たい、とか宮殿お城等の建築物、美術館に行きたいという強い想いも熱意になって自分を突き動かしていくものになる。

その誰かや何かに自分が会いに行きたい、実際にこの目で見て触れ合えるなら触れ合いたいという熱意が強ければ強いほど自分を実際の行動に駆り立てるエネルギーやバイタリティとなっていくのだろうな・・・と思う。

もちろん何事にも表裏一体の側面はあるけれど、これは善い方向への話で憧れや楽しさや嬉しさ、知的な驚きや面白さに出会いたいという想いあるいは欲、時々執着はたぶん生きていく上で重要なのだろうなと感じる。


私も元気な頃は何かよくわからないけれど国内外問わずお寺や神社、お城や史跡等々歴史的な建造物を見に行きたいと思っていた。ただ旅行に行きたいというだけなのだけど・・・。
何となく生きている内にこの目で見ておきたいなんて思ったりしていた。世界遺産などの本を図書館で見ながら。
「せっかく地球上に生まれたのだから見ておかないと損だよなー」なんていう人間中心主義の極みみたいな考えを学生時代は思っていたものだった。
とりあえずルーブル美術館とか大英博物館とかそういうのは死ぬ前に見に行きてえな・・・みたいな・・・。

国内でも見に行ったことないところばっかりで、東京もほとんど行ったことはないから本当に出不精なんだなあ・・・と思う。
TDLですら自分は行ったことはなくて、だいたい周りの人は一度は行ったことあるらしくて、小学校のころは行ったことない人の方が少数派だったくらいだった。(まあ、特に凄く行きたいというわけではないのだけれども・・・)
でそういう大多数の人が経験するであろうスタンダードを自分はあまり経験したことないなあという思いもあって・・・。


それなのに一度はパルテノン神殿とかピラミッドとかゴシック建築の教会見に行きたいとかスケールが大きすぎる変な想いが昔はあったけれど・・・

なんか今はそういう熱意に変わる想いが消え失せてしまったように空っぽになった。
現実的に考えて海外なら無謀な考えのはもちろん、金銭的にも語学的にも何もかもないのももちろんだけれど・・・想う事すらどうでもよくなったというか、なんていうか。疫病が怖いというのでもなく、本当になんにも「あーそうなんだ、へーそうかー」と絵空事のように感じたりして。

国内のものにもそう思ってしまうから厄介になった。前はどこそこに旅行にいってあれ見たいとか食べたいとか思っていたけれど今はなんか想うだけ思って終わり、みたいになって時々熱意もないことはないけどすぐに終わるというか・・・

「その行った先に何か身につくのだろうか?」という損得や利の勘定を考えると何も残らないや・・・ってなって無意味なことのように思えてきて空しくなるだけになった。


トピックに上がる人たちの行動力や熱意は凄くて圧倒されるし、でもやっぱりどうしてこんなに元気なのだろう・・・と羨ましく思うこともある。どんどんその方々はそちらに邁進して欲しいと思うのだけど自分と比べてしまってやっぱり私は何もかもにも惨めだなあ・・・と思ってしまう、あまりに勝手で失礼だけども。

人と比べることは良くないと思いつつ、でも元気や原動力を貰いたいという気持ちもあって、
「こんな場所があるんだ」的な所とか「こんな素敵なものがあるんだ」とか。
でも、自分が行くことは適わないという思いがやっぱりその熱意や想いを遠ざけてしまう。

食べ物のお話もパンとコーヒーのセットの写真、定食、旅先での山の幸海の幸の旅館ご飯、お弁当の写真も美味しそうだと思っていつか自分も食べたい、食べに行きたいと想って大きな励みになる。

・・・・・・けれど全て夢想話のようなんだ、今の自分にとってはそういったモノこと場所に主体的に私自身が入って行けるように思えなくなった。

目に見える原因は身体面の不調だけれどその不調をきたす大元の原因はなんでかよくわからないしわからないものはどうしようもないけれど、
そういったモチベーションはずっと冷めているままで未来に対する期待や希望がないと現在がただ無意味であるようにしかなくて、ただ生かされているような感じで毎日やり過ごしているだけだなと思うだけ。


ああでもこうやって書いてると”過去”に一番囚われているのは自分なんだなあと思う。
でも新しいことをといっても過去の積み重ねから見つけられたりするしその積み重ねが皆無の場合はどう見つけたらいいのだろうか・・・。


色んなことが、わからない。


(一週間以上前に思って書いていたことを上げてみる。今も気持ちはほぼ変わってないかもしれない)