悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

憐れみをと語りき

ある曲を調べていてパラドックスが起きていたことに気付いた。

ラジオの選曲なのだが、土曜日に聴いた放送が再放送で以前にも聴いたものだと思っていたが土曜日の放送が本放送だったらしく以前に聴いてない事がわかった。私はその時に「(この曲この前もかかっていていいな~調べよ)」と思ったのだけどもそんな曲はなかった・・・というさらに前の曲だったのだ。

ややこしい書き方だけどこの前聴いたと思っていた曲はその時初めて聴いた曲だったということだった。(勘違い)でもいい雰囲気の曲だったので良かった。で、ちゃんと以前聴いて調べたいと思っていた曲も今日探せたので良かった。先々週ぐらいの曲だったのか・・・ちょっとしたパラドックス(?)を体験する(ちょっとだけ似てた曲だっただけ)

ラジオでモーツァルトのレクイエムがかかっていたので流し聴いていたけれど気になる所があって調べたら私がこの曲の中で好きなのは第6楽章のレコルダーレ(思い出せ)だという部分であることに気付く、有名な怒りの日でもなく。少し哀しげだけど厳かな旋律がいい。(前にテレビで聴いたときはこの部分だったらしい)

でも音楽聴くだけでもすぐ疲れるようになってしまったので、能動的に探したりお薦めに飛んでいったりは出来なくなってきた。集中しなくては・・・という意識が緊張状態を与えるみたいだ。でもそれって自分が聴きたい音楽から遠ざかってるって事なのだろうか?自分が聴いて何も気負いしない曲があるのならそれは自分に合った曲といえるのだろうか?それは過去に好きだったとかよく聴いてた曲がそうだとも限らないので難しい。曲を聴くにもある程度調子が必要で、昔は悲しい時に悲しい曲聴いたりとか出来てたけど今はそれは出来なくなった。身体がついていかない。ラジオから流れるぐらいはいいのだけれども・・・。

あと日本語の歌詞は重たく感じてしまう時があってツラくなる。言葉がわかる分言葉の意味が理解できるからだと思う。もちろん安らかな曲もあるけれど・・・。だから日本語よりは英語の曲の方がいい。自分が英語がわからないからたぶん一種の音になってるのだと思うけど、これリスニング出来て意味を理解出来ていたら日本語の歌と同じように重たさとかくどさを感じてしまうようになるのだろうか・・・?謎。

家では部屋のラジオとは別に最近の洋楽ヒットチャートとかジャズっぽいのとがキッチンBGMでかかっている、主に母が聴く。最近のヒット曲はK-POPが多いのでBTSとか多めらしいけどわからぬ・・・。たまに邦楽の時もあるけどそれもあんまりわからぬ。

 

いつか他のブロガーさんの記事でこの世の中が汚くて悪くなったとか人間の質が落ちたと思うのならそれは世の中に公正さや正しさを期待しすぎている反動だと言っているのを見た。人の社会はそもそも昔から正しくてクリーンである訳ではなく、いつの時代もそういった嘆きがあって今もその繰り返しの中にいるにしかすぎないという。

性悪説というかもともと社会が居心地の良いことなんてないだろう、って感じなのだろう。確かに昔の哲学者とか思想家といったインテリジェントな人たちも大衆とか社会の不合理さとかに頭抱えていたようなイメージがある。(そういうのを自分たちの納得のいくように考えて文章に記しているのか)

でも世の中なんてこんなもんだよと思って頑張れるか?といってそれができる人できない人とで皆何らかの不調を抱えていくから噛み合わないシステムとかサイクルの中にはいるのだろうなとは感じるけれど・・・その思考する時間も確保するのも・・・。期待しなければいいのか期待するから悪いとこばかり目につくのかって訳でもないのだろうと思うし難しい。

生きていくとはなにか・・・?