悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

そんな時代もあったとか

俺ら東京さ行ぐだ』久々に聞くと凄い曲だけどやっぱり面白い。ラップ部分の歌詞もだけどサビ(?)の部分の華やかな所がいい。

かつてニコニコでもIGZOブームがあってアレンジやMADを聞いた覚え・・・。でも原曲の明るい感じがいい。吉さんの絶妙に訛りのつけた歌い方も上手いんだろうな・・・純粋に凄く歌が上手い。

日本の1985年ぐらいのヒット曲だと言うけれども1980年代辺りはバブルの影響もあってか全体的に華やかで明るい感じがあるか、あるいは美しさのあるメランコリーさみたいな憂鬱美みたいな感じの印象がある。1970後半くらいから全体的に曲の音色が増えて新しい感じがしてきて、80年後半~90年初頭になるとリバーブの効いた独特のドラム音みたいなのが特徴的だなあと思ったりする。なんか銭湯みたいな空間の広がりがある音。(素人の感想)でもあの音嫌いではない・・・。

件の歌は歌詞に書かれた典型的な田舎というイメージに自治体が反発したという話があったが当時(1985年)は既に歌の中に書かれたような田舎ではなかったが、吉さんの幼少期(1950年~60年?)辺りの東北の田舎部は歌詞のイメージとほとんど変わりはないともいうから驚く。

でも、その部分に中上健次のあのルポルタージュ紀州』を思い出した。(個別で感想書いてなかったぽいのでそのうち書く)

あちらは1970年後半の西日本(紀州、和歌山)の周りの話なのだけども、その中で語られる山奥の村部や農村部などのイメージにも驚いたのだった。1970年となると、外国の文化や商業も(マクドナルドやケンタッキー、セブンイレブンなどの一号店がオープンしている)入ってきてわりと新しくなってきているイメージがあったのだけどもそれは都市部だけで、田舎部は時が少しだけ遅れているような原初的な感じで語られていた。でもそれがほんの50年前ぐらいの話だということに驚く。だって今はその場所にもコンビニがあって携帯の基地局Wi-Fiがあってネットに繋がるだろうしGPSで居場所もわかるだろうなのに。

1950年といっても今から70年ぐらい前でその70年の間でそんなに暮らし方が違っているものかとその時間の経過に興味が惹かれる。でも一般家庭におけるモノクロ写真の変わり目があった時代が今から考えて60年前ぐらいだとすると・・・(カラーカメラの一般的な普及率の問題もあるけども)4Kとか8Kとかいってる時代からすると何かどうなってんの?という気もしてくる。これから70年先(2092年!)も似たような事になるのだろうか?

(CanonのHPによると日本初カラーフィルムは1941年に出来たそうだけど・・・それからカラーカメラは大層高価なものだったらしいので一般的な普及は1970年代に入ってかららしい)

そう思ってみると1950~60年の田舎にゃ何にもねえという歌詞や70年に入ってからでもの田舎という場所の文字通りさに恐ろしくなる。数十年前までそれが当たり前に存在していたという事実に、だ。そういう古さのある身近な生活像へのイメージがつかないのだ。(逆にもっと古いと思う歴史の方がイメージしやすいかもしれないまである、お城とか)

そんな歴史の流れに驚く今日もまた数十年経てば想像がつかない古さになるのだろうか・・・時の流れ、科学の力ってすげー。