悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

下へ向かう

何もすることがない・・・訳ではないが、何をするにも緊張感が伴ってくるので結果的に何も出来る事がないのだ。

自分の身になることを何かしなければと思うが、その行動の筆頭は読書だったり知識を得る事だが、文字を追うのも緊張感が走るしわからないフレーズが出てくるとなんとも言えない行き場のない感じになってくるので、知識の為になりそうな格好いい雰囲気の本は読めそうにない・・・。下心を持って本を読もうとしてる内心が自分でも嫌だな~と思うので背伸びした中学生のような心は持ちたくないのだが、でも格好いい本は私にとって背伸びしないと読めない一冊であるから何とも空回り。

今の人って読書をするとか勉強をする事が凄く苦でないんだなと勝手ながら思う。

ゲームの実況配信とかを見ていてもPVP的なゲームではゲーム内の立ち回りとか動き方をプロの講座動画で見たりするらしいからゲームといえど皆勉強している。

私が勉強があんまり好きじゃない・・・のもあって、この今時の人々の勤勉さとか真面目さは凄いなと思う、それも仕事などしながらそういう事が出来るのだから気力も体力もそうとうタフだな・・・と思う。

でもその目的は何だろう、どこにあるのだろうと聞いてみたくもある。

好きだからそうしているみたいに理屈じゃなく自然とそうなっているのだろうか、だとすれば自分とは遥かにかけ離れた住むべき場所も違うような存在なんだなと思う・・・僻みっぽくなったが、でもそれぐらい土台から身体の構造からして違うような存在に写ってしまう。

私が古いしがらみから離れられない異形の人だとしたら彼らは新しく聡明な人たちだ。

これを劣等感と言ってもいい、私ははっきりと劣等感があるのだ。知識を得る事を自分の生きる事として内から自然な行動として行われていく利発で頭の良い人たちに。

 

最初から持っている器が違うのだ、と考えられれば楽だけど割り切れない気持ちが出てくるのは何故なのだろう。

この得体の知れない気味の悪いものはプライドなのか、自分が嫌いな癖に自分を信じているという相反。結局自分大好きナルシストなんじゃないか?

進んで行ってる人とその場に止まって眺めるだけの自分とその距離の隔たりは最初から離れていたのがさらに離れていく。

まだ自分の可能性を信じているのだとしたら甘すぎる故の無知だろう。何も持ってない人が何を為すには為した事実がいるので、その過去がなければ結局何もない。

何もないのだ。

 

取り残された空間一つ。でも時間は平等に過ぎていく。