悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

来たりて春は

やっぱりまだインプットができないなあ、と思う。
テレビニュースはもちろんドラマも映画もかなり選ばないと見ていられなくなる、小説もアニメも、ゲームは事前にやるぞと意気込みを入れなければならなくてそれが面倒でプレイするのを躊躇う。

本や小説も何か読まないと新しい知識を入れないという気もあるが、そんな義務意識でなくとも読みたいものもあるけれど実際手にとって見てみれば緊張してきてとても本を読む気になれなくなる、おそらく全て理解しないと、とか集中しなければという意識、そして知識を入れないとという気が働いて文字を追うのがキツくなる。
これはなんていうことか、とか考えてしまう。

ドキドキハラハラしてしまうことが身体の最大の負担になりえる今では本を読むことが困難になってしまった。このままだとこれから本をかなり選り好みしなければ読めなくなってしまうのだと思うとなんだかな。

映画やテレビもそういうことでドキドキハラハラ特にシリアスなものやドキュメンタリーとかは見れなくなった、と思う。すぐに途中退散してしまうというか、よほど調子が良くないとダメだというか、まあ見たいとも思わなくなった。悪くなる前までは普通以上に見れていただけにその落差。

ゲームもやっぱりドキドキ(イライラ)してしまうと駄目なのでできなくなった。やるなら意気込んで挑まないといけないのでそこまでしてやりたいか、という思いを固めるのが大変になった。
PCもそんな感じでただ立ち上げるだけでも気合いを保たねばならないので自分の中の大事になるのだった。


文章を書くことは半々くらいで気負いしないときもあればすごく駄目なときもあるのでその時その時で変わる。
ゲーム配信を見るというよりはほぼ音だけどそれは負担度が少ないか、ほぼBGMのようになってしまっているけども・・・。


しかしインプットがないとただただ無になる。自分の中から在庫を引っ張ってこなければならないけど、それだっていつか枯れるもので限界はある。
インプットが満足にできない状態でアウトプットもできるような気はしない。

蓄えはそろそろ枯渇してくるもので、でもじゃあどうするのかといったって、どうしようもできなくて。
新学期がスタートしたスピード感やそういう新しさに惑わされているのかもしれないけど、なんだか虚しい。何もできないと感じる無力感。

そういえば昨日、唯一ちらっと見たのは入社式のニュース。新社会人は真新しいスーツを来て身なりはいっせいに整えられていて会社の挨拶を聞く。眼差しは真面目に前を見据えていて。これが人生のスタンダードか、なんて思った。




皆様は如何な春をお過ごしでしょうか、