悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

連鎖する呪い

目的がないから外に出られない、のは確かにそうだとしてでもその目的があったとしてもその先で苦しくならないように努めなくてはならないのはしんどすぎる、というよりメンタルを維持できそうにないのだ。
薬を飲んでも薬の効果を超えるほどに発作がやってきそうだと思うとそうならないようにしなくちゃ、という力ももう私にはない。

外に出ることは二段階選抜のようで、まず一つめは乗り物(あるいは徒歩)に乗って目的地に行くこと。それまでに苦しくならないように気をつけることが求められる。
その第一関門を突破すると二つ目は目的地についてからどうするか、になる。
これがなかなか予想がつきにくい、実際にその場所に行ってみないと居心地がよいか、人の数は、苦しくならないか、飽きたりしないか。

飽きたりしないかというのは、
この不調になってから外にいると突然自分のことしか見えなくなる時が突発的に来たからだ。
そうなると意識が内に集中していく感じ、動悸は上がり腹が岩のように固くなり呼吸ができなくなるような感覚がくる、発作だ。

一度そうなると落ち着くまでに時間もかかる。家の中でもつらいけど、隠れることの出来ない外でそうなってしまうと思うと・・・落ち着かせることは難しいだろうし、何より家人の対応も焦るばかりだろうし、絶対に発作が起きないという保証は全くないので実際に外に出たいとあまり思えないのはそうだ。
それを起きさせないように気張ることも私の負担であるからそういう踏ん張り力みたいなのもないし、気張ってるなと自分でそこを意識してしまうと気張るということはかなりヤバいかも・・・と思ってしまって、発作を誘発する材にもなり得るし。

確かにどこか行かないともっと行けなくなるのはそうだけど、目的があってもその目的の先にどうなるかはわからないし。ただ目的の場所に行っただけで力尽きて終わりそうで、その先を頑張って過ごせるかなんていうのは自信がない。
例え薬があるとしても利かなかったら、それ以上の緊張に見まわれたらと思うとそのリスクを追ってまで行く意味はあるんだろうか、と思ってしまう。

だから医師の言う目的がないから外に出られない、というのはそうなのだろうけど例え博物館や美術館に行きたいと思っても行った先で果たして発作が起きないだろうか、目の前のこと(外)に意識が集中できるだろうか、静かに鑑賞できるだろうか、あるいは目的地までの乗り物に長く乗っていられるだろうかという諸々に対して大丈夫だという保証もない。


だから外に出るタイミングも意味も何も全くない、でも家にずっといても何かをやろうとしても(例えゲームでもPCでも)緊張してくるのでは本当に何も行動ができないのだ。
もう気力も体力も残ってない、空っぽ。
結局もう少ししたらこれができるようになるだろうというような激変が自分の中に見えないのだ。
日々は日々の上に重ねられていくのだから当然といえば当然なのだけど。



今年の大型連休は前年比に比べて旅行が好調らしいというけれど、そういうのを見ると皆わりと健康のように見えて羨ましいなと思う。
配信者の外配信とかも見ると皆ゲームやりながらもけっこう健康なんだなと思って。


出来てたことが出来なくなる呪い。いつそれが解かれるのだろう、先がまた見えなくなって途方もなく遠ざかっていく。