悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

上下幅増

コミックスちいかわを読んだら中学生の頃にこの本があったらと懐かしい気持ちになった。それも学校の図書室とか保健室、カウンセリング室などに置いてあったら、きっとこのキャラが好きとかあのエピソードがイイとか話しただろうな・・・という気になった、そんな懐かしさが滲み出てくるような不思議な感じになった。

公式Twitterで眺める分にはこんな懐かしさは全くなくて逆に最新のトレンドを進んでいってるようにも思うけれどコミックス、本という媒体で読むことに懐かしさや安らかさを抱いた。
(逆にネットで追って見ると安らかさがなぜか消えるように思えてくるのが不思議なところ)


確か私の中学生の頃に置いてあった本は『ブッダとシッタカブッダ』というような本だったり『世界がもし百人の村だったら』とかそういう本だった・・・ように思う。これらはエンターテイメント的要素の強い『ちいかわ』よりも道徳的で啓蒙的な側面もあるけれど、自分の感覚としてはこういうような本を見ているような感覚。
(といいつつ『こげパン』もあったような気がした・・・?)


今の現役の学生世代があのキャラクターがいいとかエピソードがいいと話していることはないかもしれないけど、『ちいかわ』が私が中学生だった当時だったらきっとあれがイイとか面白いとかカワイイとか言いあっただろうな・・・と思った。

もしあの時にこれがあったら・・・というIFは脈絡もないけれど、この本が例えば保健室やスクールカウンセリングルームに置いてあったとしても何の違和感もないように思った。
色々な物事に悩んでいる時やツラいなと思ってる時に学校で読むとフフっと出来るようなそんなライトさがあるように思う。(ネット上での闇深とか考察とかそういうオタク的部分は置いておく)

たぶん端的に言えば本で読むのとネット上で読むのではちょっと印象が違った・・・というだけでそれは私の感情だけに過ぎなくて、さらに個人の体験とだぶつかせてそう思っただけなのだろうけれど、もし学校という場所でいろんなことがどうしようもなくなって泣いて涙目になりながらも保健室などでこの本を読んだ時、フフっとする瞬間が訪れるようなそんな気がした。
これは本当に私個人の感覚にしか過ぎないのかもしれないけど、当時にこの本があったら迷わず手に取り読んだだろうな・・・と思った。


本だからゆっくり読み進められるのもあるのかな・・・ネットだと物理面の画像の読み込みや果ては考察、同人等々そのもの以外の文章や思惑も目に入ってしまうけどそういうのが本にはないから見やすいのかもしれない。(あるいは出版社のエピソードのまとめ構成センスが凄い良いのかもしれない)



・・・と思った午前中。風は涼しすぎるぐらいで久々に寒さすら感じたものだが、昨日処方された漢方もなかなか良いもののように思い(かなり辛いけど)調子も良いから安定剤も要らずかと思ったが、その油断が禁物だった・・・。
やっぱり調子に乗ってはいけない・・・安定剤は必要だった。
食べ物を・・・どうも重たいと思うものを食べようとするとダメらしい・・・特に肉。
調子に乗って作ったはいいけれど食べられないという気持ちが先行してお腹が重たくなってくる・・・。そして息も上がってくる始末。

油断厳禁なのだなあ・・・結局”食べられる”のは外に出るという行動あってこそなのだろうか・・・

午前と午後で全く違うお話になってしまった・・・そして結局いつもの内容になってしまった・・・。