悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

ハクション

不調になる以前、私を外に出させようとしていた動機や源は何なのだろう。
わりと何処へでも行ってた気がする。近場の買い物も、中心街にも。それら全てが強い目的の中にあったわけではないと思うし、何ならあまり体調ちょっと優れないと思う時であれ外に出ることだってあった。
外に出る方が何かあるかもしれない、気分転換できるかもと不確定な希望めいたようなものを持ちながら。

時には旅行のように遠出もしたこともあった。
そういう時になんで自分がどういうモチベーションでいたのか、それはよくわからないと今振り返ってみるとそう思うけれど。
でも一つ、推しカプという概念があったと思う。
どんなところにいても推しカプがあれば、その為に頑張れた。最終的にその二人の為になれば、それをいつか描写して公開するその日の為に自分が見て体感し経験し得るものがその二人の為になるという自己満足があった。
盲目的な恋、クサい大げさな言葉でいえば愛で、それはでも全て執念であった。

その恋愛は一種の無敵状態を生み出す、最終的に二人を想像すればいい、1日終わった時に彼らを想えば不思議とそれで満たされていく。
異常ともいえる愛のような執着、だがこれがあったお陰で私は外への手がかりを取り留めていたのかもしれない。
どんな物事も二人の前には(二人を妄想する私の)は取るに足らない些細なことにしか過ぎなかった。私の世界はその為に満ちていた。

だけど不調になる辺りで終わることのないと思っていたそれが突然に、何もかも空虚になっていくように感じた。もともと無であったものがはっきりと無だと目の前に放り出されたような、そういう虚ろさに目が覚めたのかもしれない。

推しカプへの執着は完全に冷めたわけではないのだけど、でも以前のようにそれが本当の安定剤のような役割だったころのような状態には今のところはない。二人という御守りのような後ろ盾がなくなってしまったような現在に、私は”自分が”どうしたいのかわからなくなってしまった。


今だって行きたいと思うところはないわけではない、国内であれ国外であれ見てみたいものはあるし行ってみたいと思う場所はある。
けれどそのための原動力がない。
そこに行って私は何をするのか、自分に何が残るのか?
何も残らないような気がする、行くだけ無駄じゃないだろうか、結局何も自分の中に残らないのなら、自分の体験や記憶だけで終わるのならそんな意味のないことをしに行くだけの意味や突き動かされるような行動の源が生まれてくるのだろうか?

何もかも無意味なように思って、私だけが経験して何も残せないのだったら、私がそこに行ってもつまらないと思えば一気につまらないものになるだけで。そうなってしまうのなら最初から自分を動かすための粘りのような力も全く出てこない。


何でか時折色んな物事に冷めたようになる、その反動で一転熱が溢れてくるような時もあるけれど、それは実際の行動まで結びつかなくて行動の前には急激に冷却されるような、そんな冷め方。萌え尽き症候群のような気分でもある。


私は何が楽しかったのか、何に喜んでいたのか・・・。半ば~の為にという意識で動いてきたようなものかもしれなくて、じゃあ「アナタはどうしたいんですか」と聞かれた時に私はその事を考えてこなかった。
二人のために逃げていたのか逃げるためにそこにいたのか、それはどっちかとはわからないけど。
だけど私の置かれた立場、場所が急に露わになっていくような感覚があって、それがいよいよ私が朧気な氷の上に立っているに過ぎないという何かを見せつけられたようなのだ。

端から見れば本来は名もなきただの根無し草だったという、その気づきが自分を動揺させた。