悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

ウッソウと

気温が高くなってきて暖かいというより暑い、暑いのはかなり苦手なので嫌なのだが今年も去年同様暑くなりそうか・・・。
もう木々の緑もいい感じにもくもくと生い茂ってきて春というか夏というか・・・。いよいよこれから、暑い季節がやってくるんだなという感じ。

気候的には外に出たり、過ごしたりするのに申し分ない暖かさだけど・・・。散歩したり何したりと悠々に何でもできるのだろうけど、そうやって行動や生活に少しの変化が生まれてくる(季節性の行動変化)動いている人を見るとそれが本来のいい健康的な過ごし方なのだろうと思うが、自分と照らし合わせると何も変わらない私と変わっていく周りとの温度差というのがやっぱりすごい感じる。

前も同じようなこと書いたと思うし、前に病院の先生にも言ってみたけどそれは当たり前のことだというからそうなのか、と思ってたけど。

それでも本当に何も私は変わらなくて、ただ薬を飲んで落ち着かせて1日発作が起きないように過ごすことだけで精一杯で、それ以上に何かやりたいことはあるけど実際行動にしてやれるかどうかわからなくて。

日々止まっている自分の感覚と気温とか季節のそういうのでありありとわかる周りの進行具合とが自分に焦りを感じるさせられるような、でもどうしようもできなくてただじっとしているしかないようなという苛立ちと不満が、結局そういう苦しさを誘発するので、なんだかなあ・・・

5月からは薬の効果が利いてきて身体は動けるようになっている・・・らしいのだけど、自分の感覚では身体の拒みがあるように思うし、今月の通院が終わってから(終わった日とその次の日くらいまではブーストがあって体調もそこまで崩れないが3日経つと駄目になってくる)ここ最近は生きるって何なんだろうと思ったりする。


何の為に生きるのだろう・・・死ぬ気はない(怖いから)けど生きる意味も生きがいも、ないわけではないけど遠くて本当は1日少しずつやっていかないと為せないことなのだがその1日を無駄にしてるというか何の意味も種を蒔くこともなくやり過ごすだけでこれじゃあ結局何も収穫できないとわかっているのだけれどでもどうしようもできない。

落差が自分の中に凄くあって何もできていた時の2年前と何もできなくなった今との落差。この突然の出来事に自分への苛立ちがやっぱり募るのかもしれない。

それに周りが言うほど大丈夫でない、と自分では思うわけでだからこそ周りのために大丈夫なフリとか空元気でいることがもうできなくなった。いくら根性だとか耐えろと思っても無理だ。できないという気持ちが身体に、反応が出る。

こういうの完璧に環境を変えるとか(引っ越すとか)あるいは薬だけを飲んでいても駄目なのだろうか、発達障害を調べてもらったわけではないけど何らかのカウンセリングとかが必要な気もしてくる。
それとも気が早い、早とちりしすぎているだけ?よくわからない。本当に何もかもよくわからなすぎて何もできない。