悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

相反せし心身

精神は身体をいたわらないし身体は精神をほうっておく。
自然に抗う精神で行こうとしても身体は自然の通りでないと生けないのかもしれない。私の場合だが。
たぶん普通に精神身体両方で抗って生きていける人は今生にたくさんいるけど、自分の場合果たしてそれが原因で不調になっているのではないのだろうか、という疑念が出てくることがある。

よく子を生むことで体質が変わるというけれど、じゃあ自分のこの不調はそれをしないと変わらない、このままままなのではないかと不安に駆られてくるのだ。

だけど実際にこの不調の原因である”ある体質”を改変するために子を為すとかそれをしたいと思うかはNOであって、自分にとっては恐ろしいことでって拒否感あるいは嫌悪でしかない。本当に怖いことなのだと自分でも思う。自分が誰かの個人のオヤになるというのは想像もしたくないほど恐ろしいことなのである。

だけどこの世の中にできる、できないの二択しかないとしたなら私はその自然に抗うという生き方(精神)をできない方の人間なのではないか、その生き方をする権利を与えられてない、あるいは許されていないのではないかなんて思ってくる。
なぜそう思うのか、は主に今現在の自分自身の身体の不調のせいであるがこの体質がそういった生き物の重要な理であるものを得て、体験しない限りでは改善されないのではないかという不安である。

血迷い言のようだが、抗い生きてきた強い人が周り身近にいないのでそう思うだけなのか。
だけどこの気質や体質を変えることが普段の生活から細々と変えていけるのかは今の自分にとって見えてこないのでこんな血迷い事を言うのだとは思うけど・・・。

でも本当に我が子のオヤになるという事は私にはその連鎖を繋ぐことはできないとは思っている・・・。これは出会いのなし/ある に関わらずもう本当にそういうのは駄目だという、そういうことで加えてあまり良くない連鎖を繋ぎたいとは思わない。

だが精神はそう思っていても身体はどうなのか(まるで年齢制限のある薄い本のようだけど)と思ったときに身体はもしかしたら精神とは真逆のことを思っているのかもしれないと思って、不安に駆られているのだ。
役割というのか、役目というのかそれが精神と身体の間とに行き違い、隔たりがあるんじゃないかなんて思ってしまって・・・
それが現在の身体の不調に繋がってしまってるんじゃないかなんて、思うことが最近少なからずある。

自然に抗え”ない”ほうの人間なんじゃないか、自分は。だから不調はいつまで経ってもずっとついて回るんじゃないか。

そういう途方もない不安のような、最初から怪我する事がわかってて遠足に行くようなそんな気の重たさが、ある。