悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

視点A

5月に入ったばっかりだが体調はすこぶる悪い。医者の話ではこの連休後ぐらいには身体も良くなってくるといった(薬の効果が出る)
確かに身体は前よりか、酷いときよりは動くようにはなった。軽いと感じる日も増えた。
だがここ数日になってまた、嫌な予兆のような身体の不調を感じる。
昨日は1日朝夕1回1錠(朝は飲んでも飲まなくてもよい)の安定剤を夜、半分飲んでしまった。3錠だ。合計5mg。

理由は、と言われて理由は色々な物事が雁字搦めになっていて一つとしてはっきりと答えられない。「特にない」ということも理由だった。
「特に何もない」から不安と焦燥感に溢れてくる。延々と何もない、この状態がずっと続いていくような気がして。

驚くほど変化もない、誰も寄り添ってくれないと感じる。皆自分のことで手一杯であるか、現実を見ない。特に母は相変わらず生活態度の変わらない父親を前に現実逃避癖が強くなったように思う。旅行に行きたいだとか、東京に行く飛行機が安いだとか、スカイツリーを見たいだとかそんなことの前に・・・、

私はもう何の言葉も出ない。言いたいことがありすぎると、寝かしすぎると言葉は実を失う。

あと父親の飲酒だが、1日ビール1缶ほどではなかった。減りが異常に早い。この前は自分で買いに行っていた。酒のためならなぜか外へ出る時があった。
晩酌は2缶がデフォルトであるということだった、ビールのみならずストロング系の酎ハイを飲んでいる時も(飲ませ)あるらしい。
何でも酒を飲まないと気分が優れないから、だとか言って、夕飯時にやっと起きた褒美だとでも思っているのだろうか。

父親は病院に通う前、健常時から何をするかわからない人であって、ご機嫌を取っておかなければそれこそ手を出される可能性もあった。
私も遠い学生のころもそうだし、成人してからもよくわからない動機(本人は世間的には道理だと思っている)で一度平手打ちをされたから、この病状に置いては尚更手が出、最悪の場合も確かに想定しなくてはならないと思うと気が滅入る。
実は担当医から入院も勧められているらしいのだが、強制力もない病なので本人の意志に委ねられるので、ずっとそのまま今まできている。


そうした状況の中で私はずっと家にいて、何もなかった。以前までのめり込んでいた現実逃避はすることが苦痛になる時もあって、少しだけ現実を忘れさせてくれると言えばやっぱりライブ配信なのだが、それでも何も以前のように充実した気持ちのよい状態にはならなかった。

この身分でいながら悲しみもそうだが怒りという感情はあった。怒ることは私の病的には一番身体に障るのだがそれを溜めているのも徐々に障るようだ。そのため発作が起きる前に薬を飲まなくてはならない、必然的に薬の飲む量も増える。(なるべく飲まないようにしたいのだが)


そういう中で外へ出たいとか出なくては、何か行動をしなければと思ったところで準備は大変である。一つ頼んだところで外でもし発作が起きてしまったらと思うと、母も兄弟も面倒くさがるだろうから。そう思うなら万全の状態でもないのに外へ出たいと言うのは私の無理な根性論でもあるし見栄なのだろう。私は大丈夫だと自分で思いたい。
先生は「目的があるなら何処にでも出かけてもよい」と言ったが、実際は目的があってもその間に出会う人や起きる物事を思うととても出たいと気軽に言うことはできない。
一人で出られれば何も言うことないが、それが出来ていれば恐らく私はこの病に罹らなかったと思う。


歩幅は埋まらない。
私とロクデナシ父親は病人で母たちは健常者という線引きがある。
精神の病は本人たち次第でしかない、という名のもとに放置されたような面もちがする。

私はロクデナシの父親と一緒にされるのは正直言って嫌でしかない。確執がある、などという一言だけではいいたくないが。


一向に溝は埋まらないばかりで毎日薬を飲んでやり過ごすしかない、ゲーム配信を見ながらみんな今日も配信頑張ってるんだなと少しの元気を貰いながら。