悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

欲しい物と

そろそろ物欲が高まってきた。
無線マウス、本(漫画も含む)、CD、画材・・・欲しい物が増えてきた。
買おうと思えばいつでも買いにいける、時間に縛られているワケでもない。
それでも私は外に出られない。薬も貰った、少しずつ外に出てみることとドクターも言った。実際前より物欲は増したように思う。前よりも行動目的が見えやすくなったとは思う。
それでも私は外へ出られない。私を阻むものが何か、見えない。それが自分だったら自分の記憶だとしたら記憶をキレイさっぱり忘れなければならなかった。でもそうなった時、私は私であるということを覚えてすらいないのかもしれない。
だったら外に出られないと悩むのは私であることを強く意識していることの他なく、じゃあ私はやっぱり欲しいものが出来て外へ出てみたいと思ってきたけど、やっぱり外にはまだ出たくないということになる。
阻むものは何か、これは厄介だ。

焦りは消えない。焦っても良いことはないとは知ってるけれど身体は動く気に溢れていて動けないことをもどかしく思うらしい。動けないことに対しての不満やイラつきは自分に向けられる。でも実際に動いたところでも恐怖と不安が出てくるしで一体どうしたいのか自分でもわからないのだった。

外に、久しぶりに中心部やショッピングモールに買い物に行きたいという気はあるが、仕度をする意欲もわかない、恐怖の方が勝ってしまう。
人の視線も怖く感じる時があった、感じないときもあるが一度でもそう思うと気になってしまうのだった。
この恐怖はおそらく私がどこにも属してないという不安定さだ、どこにも所属せずに強く居られる人がいるのは知っている。私は属していないと駄目だと思う方の人だった。拠り所が欲しいのだ、と思った。
どこかに「今日こういうことがあった」と分かち合える場所が欲しいのだ。

そうすればどんなに周囲から訝しげに見られても怪しいと思われてもその場所に属していれば私はそこの一員だと思えれば胸をはれそうだと思ったからだ。


前は外でコーヒーを飲みたいとか甘味が食べたいというのも行動目的になっていたけど、食べることが怖くなり、外でカフェインをとった後どうなるのだろうというのも怖くなっては食べる事も楽しみの一つだったのに楽しみが苦しみや不安になってしまっては元も子もない。

どう行動していったらわからないのでまだ途方に暮れる。でも周りは楽しそうで、楽しそうな様子を見て噛み締めるのも事実だった。
どうしても当てつけをされてるように思えた、取り繕ってもしようがない、そう思うのも事実。

私とロクデナシの父親が同じように取り扱われているように思った、何の寄り添いもない。
私自らから力が出るように待たれても、どうしようもない。
どうしようもないのだけれどいいなと思うし、私は簡単に出られないのにと思うわけである。これでは父親と一緒の思考である。
じゃあ問題は父親だけにあらずということなのか、それを考えるのも疲れてくるけど。

でも同じようにいるのも我慢はもう嫌だと思う私もいる。だが身体は言うことを聞いてくれない。買い物に行きたいけど外は怖い、苦しい。

内にも外にも鬼がいる。