悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

切れ端

巷では大型連休真っ只中だ。今年は制限がほぼないようで、天気は微妙だけど気温もそこそこ。アウトドアでのアクティビティはなかなか楽しめるかもしれない。

水を差すようになってしまうが、私にはつまらない、楽しくないといった気持ちでいっぱいだ。楽しんでる人々はそのまま楽しんでほしいのはそのままだ。

だけど、なんだかやっぱり自分の不調の感覚もなかなか変わらぬままだし、そういう中で結局自分どこにもいけないと思うと気持ちも沈むし、家でできることといってもゲームをするのにも安定剤を飲まなければならないし、PCでの作業などを決意するのにも安定剤は必要で、少しのドキドキでも身体に障るのだからどうしようもない。
これはきっと、健康な人々に対して勝手に嫉妬しているだけなのだけども・・・。
この病はそこだけを除去したら終わりだとか、安静して機能回復したら大丈夫とかではなく常に私の思考や気持ちとともにあるものなので厄介だ。

以前はなぜあんなに色々なことを楽しめてたのだろう、おかしいくらいだと思った。例え緊張してもそれが身体にいいくらいの刺激でもあった。
今は、薬を飲んでその間に何か事を為さないと駄目だった。ウルトラマンには失礼で悪いけど、そのもののようで変身がきれる3分の間に怪物を倒さなくてはならない、というのと一緒だと思った。


何も楽しめるものがない。いや、厳密にはlive配信というコンテンツ、そういった配信者達のおかげで何とか精神安定したり生き長らえている感じでもある。
だけどこれはかなり他力本願的でもあって、外でもそれを常に見られる訳にもいかない環境にあっては、やはりある程度まで薬と自らの力でどうにかしなければならなくなる。

しかしやはり自分から楽しみを見つけにいく、自分で楽しいと思うことはなかなか大変であって時には苦痛も伴っては意味もなく・・・。
以前までのめり込んでいたものにのめり込めまくなったと知った時、これはある意味燃え尽き症のようなものだけど、何も残ってないと感じている。

一過性のまやかしのような楽しさは来ないわけではないけど、すぐ終わって虚無になる。
通院後は一番希望や期待に満ち溢れているときだ。
その未知の未来に明るい兆しを見出して次はきっと・・・といった希望楽しさに思いを寄せるが、日々が過ぎていくたびに何も変えられず何も変わらない日常にこんなはずじゃないとかこのままで良くないんじゃないかと焦る。そして身体もまた不調を予兆させる動きを見せる。

その繰り返しが時間の無であるように感じていて、不安になる。何も創造の種とかいうのも撒いてこなかったし、種自体も持ってない。

歯がゆく感じるのだ、全く何も動けない自分に苛立ち。そして途方もない嫉妬をする、世の健康な人々たちへ。

こうやって同じような事を毎度ここに書くことも一つの安定剤のようなもので、誰かに見てもらえた、と思えることも小さな希望のようにも思う。

だから同じことも矛盾したことも等しくノートに書いておきたくなる。ただそこに記して残しておくだけでいい。未来人のために。