悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

フラペチーノ

昨日家族がス●バのフラペチーノを飲みたいというのでそのおこぼれにあたった。私は実は初フラペチーノだったのだが初めて飲んだフラペチーノの感想は飲むアイスクリーム(シャーベット)なんだ、と思った。

不調になってから冷たいのがどうも身体に良くなくてアイスクリームを食べるのも半分ずつとかコンディションのよっぽど良い日じゃないと食べられなくなった。冷たすぎる飲み物も刺激になるので、フラッペも喉が冷たくなってなかなか飲めない。
しかも昨日は特に暖かい日でもないしでますます冷たい飲み物を飲める状態ではなかった。

それでも巷では老若男女みなスタバのフラペチーノを飲んでいるように見える、じゃあたぶんこの飲み物は健康だからこそ楽しめるものなんだと思う。
フラペチーノを片手に楽しめるのは心身ともに健康な人たちなんだろうな、だから私は健康ではなかった、ただそれだけの話なのだ。

余ったフラペチーノは溶けてぬるくなってくるとペットボトルで売られたコーヒーのようになって飲みやすくなった。でも温かいのが飲みたかったのでレンジに入れて温めるとホットラテになったので美味しくいただいた。

フラッペを温かく溶かして飲む、って最初からホットラテで良いのかもしれないけど、新たな発見というか回り道ではあるかもしれないけど温かくしても二度美味しくなることがわかって良かった。

そのまま店で提供された直後から美味しく飲めるのは健康のあかし、健康という指標があのカップ一つでわかるのかもしれない、なんて冗談的な話だが。


最近どうして周りの人はこんなに健康なのだろう、とますます思うようになった。
雪が溶けて道路はすっかり春で日中も日差しがあれば暖かく思えることも増えてきた。そんな春を窓から眺めていると、ウォーキングする人やランナー、自転車など人は活発に動いているのだ。
お年寄りもゆっくり歩きながら、春の空気を楽しんでいるように見えた。

そんな彼らを眺めながらあの人たちはなんて健康なのだろう、と思った。それに比べて自分はいまだに外に出ることもできなければ、家で穏やかに過ごすことでさえままならない時もあって不安定だった。
春になれば、雪が溶ければ私も外へ出られるだろうと先月まで思っていたけど、周りの状況は変わっていくというのに私の状況はあまり変わらないどころか、逆に悪くなっていってるのでは、とさえ思ってなんとも気が滅入ってくる。

外を楽しそうだとは思うことは度々あるけど、それでもその楽しそうだけで自分の体調を保てることはなかなか難しいのだ。

だから健康な人が羨ましいと思った。少なくとも外に出て歩いたりバスや電車に乗れたり誰かと会話できたり、買い物に行ったり日々の営みを最低限でもこなせる人たちだ。


・・・なんだか梶井基次郎みたいになってきた?けど学生のころ冬の名の付く短編を読んでその寂しげな情景に良さを感じたけど、病床に伏せながらの健康(生きる)ことへの羨望というかそういうのが込められてあったり・・・とかって、健康なときにはただその情景描写が美しいかな、と思って見てただけだけど実際自分も不調になると春の暖かな太陽に嫉妬したくなる気、ありますわ・・・と思えてきた。
そういう憧れ、のようなものが不調じゃないときには何にもなかったのにいざそうなると出てくるものだ・・・。


冷たいフラペチーノは健康の味。