悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

空回りに燃える

最終的に自分自身を救えるのは自分だけというけどその前に燃料が尽きたら、と思った。
燃料が尽きたら何もできない、燃料を探すこともできないし、そもそも動くことができない。
そこで詰まるだけ。何もできなくなっては自分自身で身を救えなどということも寝ぼけた言葉のように聞こえてしまう。

日に日に春が近づいているように感じる。まだ風は冷たくとも気温は暖かくなってきたように思うし、雪も溶け始めてきている。外の匂いも(水気があるような何ともいえないものだが)春の匂いのように感じる。
人は結構往来し始めた。引っ越しトラックが走っているのも見かける。感染症は引き続いているが前ほどの脅威はあまり感じなくなったように思う。

だからなのか気持ちは先走っている。動けない身体に焦りを感じている。
先日絵を書こうと思っていざ書いてみると上手く書けなかった。しかも上手く書けないので練習にさらに書かなくてはと身体は興奮してしまった。体調が逆に悪くなっては本末転倒なのだけど。それでも今やらないと、と興奮は堰を切って追い討ちをかけてくる。

常に興奮状態になって落ち着かなくなってしまうのでは絵を書くことはかなり自分にちって負担になることのだと思った。
でも書かなくてはならないとか書きたいと思える気持ちとどう折り合いをつけていかなければならないのかわからない、難しい。

文章を書くことは絵よりも幾分マシなように思うけど、それは書きたい文章がただ続いたらの話で考えて書くような文章は絵と同じく緊張して息が詰まってくる。
ただ文章の場合もう書けないと思ったら、そこでやめてしまえるから「続きはまた」みたいにできた絵よりかは楽だという話で、絵の場合書けないとそこで終了と切り替えがうまく出来ず、どうやったら書けるだろうかというので気持ちがいやに張り切ってしまう。

絵描き人たちは本当に肉体的にも精神的にもタフなんだなと思った。
文章家も長文のためとか話を盛り上げるために考え書かないといけない場面があるだろうからタフなんだと思う。
表現者は常々みんな強い人ばかりだと思う。


燃料が尽きてしまったのに燃料も探せずに空燃焼して、私は空回りばかりしているのだ。
そうやって動力機関を焦がして使い物にならなくさせるだけで。あるいは燃料でない燃やしてはいけないものを燃やしているのかもしれない。
発火は自分自身を燃やし尽くすだけで何も動力にもならない。


ただ相変わらずここは楽だと思った。
楽な場所がもう少しあってくれたらいい、と思った。
・・・それを整備するのも結局自分なのだけども。