悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

3月

3月になった。2月は過ぎるのが早かった、閏年ではなかったから余計にそう思うのか。

新しいこと、何かをしたいと思うけど何もしたくない、自分から楽しみを貰いにいくのでなくて楽しいことの方が向こうからやってきてくれないかな、と思う。
だけど楽しいことは案外気難し屋のようでこちらから赴かないと楽しさを分けてくれない。
その点嫌なことはフレンドリーですぐ隣にいたり勝手に来てくれたりする、嫌なことは寂しがり屋らしい。

人が動かないと楽しいこととは出会えない、でもずっと動いていられるほど元気でもなかった。元気がない時にそばに寄り添ってくるのは嫌なことだった、元気がないのに嫌なことが続くとどんどん気持ちは沈み滅入ってくるが、楽しいことはこちらから追いかけなければならないのではどうすることもできない。

楽しいことが自ら勝手にやってくる状態とは一体どういう状態なのだろう。楽しいことはこちらから行かないと来ないのだから予約を予めしておいているのだろうか。

だったら予め楽しくなるようにタネを蒔いておくといい。と言うがタネを蒔くのも簡単ではないのだ。何のタネを蒔くのかから考えて、どこに植えるのかいつ育つのか・・・それらを考えておくのも疲弊するものだし、そもそも都合よくタネが手に入るとも限らない。

楽しいことが無条件でやってきてくれればいいのに、何も見えなくなれば何も望めない。これ以上どうしろというのか、どうしようもできない。
覚悟も何もいらずにただ何の不安定もなく過ごしていきたいだけで、でも勝負事はどこにでもあった。
常に目まぐるしく変わる。昨日良かったものは悪くなったり、その逆もある。

だから不安定を心地良く感じるときもあるのだろう、ただ今日は心地良く思わないだけ。