悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

火の粉まぶす

またスターが荒ぶっておられる・・・。

なんていうか結果がどちらに転んでも私の不調はすぐに良くならないと思う、一度感覚が染み付くと覚えて怖くなるものさ。原因の一つを取り除いたところでハイ、元通り!というわけにもいかないだろう。
私自身の年齢の問題もある。三十路を過ぎても何も残せてない、何も手元にない。せめて同人誌とか頒布してれば良かった二次同人サイトも作っていればよかった、と思った。
恥ずかしながらこの年にもなって何も自分自身を証明する肩書きがないのだ、そういう私の物理的な問題がこの不調の一番の根底にありそうなのだ。
だから例え渦中の人物を取り除いたところですぐ元のようにドランクでふてぶてしい状態の私にはならないだろうと思う。母には悪いけど、そういう復活の期待も重たいものだ。

今週のお題「復活してほしいもの」

とはいったい何なのだろう。もちろん色々ある。ほぼ絶版でプレミア価格が高騰している某ゲームの設定資料集とか二次サイトさんとか、推し声優の活躍(とか書いていいのかな・・・)とか・・・。

復活とは元に戻ること私も勘違いしがちだが元に戻る=復活ではないと思った。ゲームの世界ではザオリクやレイズですぐに元通りに戦闘復帰するが、現実で復活の意味には必ずしも元通りになって戻ってくるとは限らないのだ、と。

前と同じようにできなくなっても復活はできて前よりより良くなっても復活はできる、元通りであれば嬉しいけど本当はそういった枠に当てはめる事でもないのだろうなと思った。

じゃあ復活とは一体何を指しているのだろう。
復活とは精神的な物事かもしれなかった、リバイバルは生まれ変わりの復活だ。うる星やつらセーラームーンなどのリメイクもそんな感じ。名作が蘇るとき必ずしも中身も元通りでなくてもいいのだと思えるようにもなってきた。たぶん大切なのはそれ自体が復活したことという事実なのだろうな、精神性というか・・・。

だからか私も前のように元通りの復活はできないだろうなと思った。それは老いという不可逆要素も含めて。だからまた新しく復活することはできるのだろうな、というかそれしか選択肢が与えられてないんだよな・・・。

昨日ニンダイの情報を見てゼノブレイド3のキャラクターデザインに心惹かれた。
久々になんか、いい・・・という気持ちになれた。発売は9月とのことでちょっとゼノブレ3気になるなあ・・・となった。今までスマブラのさわりしか知らなかったけど、今さら過去シリーズも気になるかもしれないと思って心が久々に暖まった感じになった。

元通りに完全復活はするものでもないし変な話期待するものでもないんだよな・・・。
元通りにできるならそれでも良くてできなくてもまた新しく生まれ変わり復活、みたいにできないかなあ・・・。

手塚先生の火の鳥(途中までしか読んでないですが)もわりとその都度に生まれ変わってたような気も・・・。