悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

燃え殻っぽ

鉄は熱いうちに打て!というがそもそも熱い状態が保てるのか問題と打てるぐらい鉄を溶かせる熱源は確保されてるのか問題。
ちょうどその時に熱源を確保できないことなんてザラにあるのだから。
だけど熱意というものは本当に冷めてしまうのだと身を持って現在進行形で知った。
徐々に温度が冷めていったというよりは沸点を超えすぎたのかもしれない。自分ではまだまだ熱意のような執着のようなは消えてはいないと思っていたが、実際に何も出てこないことに気づく。温めすぎたのもよろしくないということだ。

何が良かったのか、どうしていきたかったのか。理想はあったが実際にはそれは相当進んだ先の状態だった。私がその場所を夢見るのはまだまだ果てしなく先だと思い知らされた。

憧れは憧れだ、これが私がもう少し若かったときにスタートできていたらまだマシだった、ただやっとこの年齢になって準備が整ったと思った。だから「もうちょっと早めにできていれば」は不可逆的な元も子もない話になってしまう。

ということは一番気づきたくない事だが、私は結局やっぱり凡人でしかなかったのだ。
よく凄い人には特殊な環境だったりに会いやすいようなという自論があった。自分も人よりは嫌な環境に会っているから・・・という思いがあったがどうも私のはただ不運に会いやすくどん底の人という最下の民であるだけらしい。

じゃあこれまでもこれからも嫌な目に会いやすいだけ、というのならこの世で生きていって何が楽しくて生きがいなのだろうと思うと無意味の虚無感に浸される。
救世主のように皆の不幸を私が引き受けるなどという事は言えない、そんな大それた人にはなれないし、私自身が元々悪人だから善人になるために修行をするというのもできない。なぜ私ばかり「私が悪い」と言われなければならないのだろう。危害や嫌な事をもたらしてきたのは私じゃなく他者じゃないかと楯突きたくもなる。

あなたは悪くないと言われたい、のはもちろんだ。でも私がやろうとしなかった事もあって、私が原因の悪いことがあるのは事実である。
だからどうしようもできない。途方に暮れる。何が楽しくて幸せで時間を自分を忘れられるほど夢中になれるのか、なれたのか。

一体どこへ行きたいのだろう、どこへ行けばいいのだろう。


熱意はその時に発散しておかないと燃え殻だけが残る。燃え殻は厄介だ、捨てることもなかなかできない。
若いときに火の中に飛び込んでみるのは必要なことだった。結果がどうであれ。