悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

行感傷的精神旅

そろそろ明るいニュースが見たいと思った。
どこどこの観光地では何が見頃を迎えているだとか動物園に新しい仲間が増えたとか老舗温泉地の新しい挑戦だとか海外の街の綺麗さとか面白い場所だとかそういうのをコロナの文字が関係しない状態で見たいと思った。

不可逆的

もはやなんでもコロナの影響なしには語れなかった、全ての物事にいやらしくも影が付きまとう。
ただコロナのニュースはどれも気が滅入るような事ばかりであって見る方も黙って流せておくほど見ることは堪え難かたい。

だからテレビは消す、前は新店ができるだとか今はやりのスイーツだとか話題の旅行先スポットだとか前向きな気持ちや行ってみたいという希望を奮い立たせられたけど、今やたとえそういう趣旨の特集があったとしても以前のように前向きにはなれないしバラエティ番組等々昔の海外ロケの番組をちらっと拝見しても海外旅行に行ってみたいなと憧れることもできなくなった。


逃げ場のないといった状況だと思った。
肉体は物理でそうだが自由である精神さえも逃げ場がないと思った。
センチメンタルを慰めるための精神的な旅行でさえも出来なくなった。ルーブルオルセー美術館、かつて一生のうちには見てみたいと思ったそこにも行けないというよりなんで行きたかったのか?と自分でも問いかけるようなぐらい意欲は萎んでいる。
それぐらい周りには暗いニュースが多い。
けたたましいサイレンの音が聞こえるたびにこちらの体調が悪くなってきそうになる。


精神はどこに留められているのか、意外と外国では”今までの日常”といわれるような生活スタイルに戻りつつあるらしい。何かで見たときにはマスク装着もしてたりしてなかったりその都度曖昧に見える。
私が家から出られないから知らないだけかもしれない、外は意外と開放的かもしれない。
会話はもちろん私語厳禁、少しの咳(ウイルス由来でないもの)もご遠慮、席は少し離れる、消毒は店に入るたびにこまめに・・・等々の事をやり遂げられる気合いと精神の強靭さがなくなってしまった。どれもが義務になり見張られている感じがして、少しでも咳が出てしまうと跳ね上がりそうなくらいドキドキする。
もう私はそうやって外で立派に振る舞うことが出来なくなって9ヶ月になる。たぶんコロナが本当の意味で風邪や季節性の感冒のようになるまで外で精神が解き放たれることはないだろうというまで思う。

だからせめて家にいる間だけでも精神が安らげるような遠い希望のようなものを見たい。奇跡は起こらないものか。




・・・今日見た中華料理の番組は久々に面白いと思った、四川料理だったので唐辛子天下だったけどやっぱり中国面白れえ~と改めて思ったし行ってみたいとも思えた。本末転倒。