悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

配信は孤独者にとっての・・・

いつの間にか明けてました2022年。おめでとうございます。今年も何となくblogやっていきたいと思います、宜しくお願いいたします。

どうも時間の感覚に有り難みを感じなくなっているこの頃・・・。昨日はいつもより少し豪華なおかずをお供にご飯は普通に食べてほぼ寝ながら過ごしました。テレビを普通に見るのにも動悸がしてくるのでなるべくストレス、緊張や興奮をしないためには横になるのが今のところ安全なのです・・・。
体調は1日3日、良ければずっと良くなるといったものでないのでなるべく不調にはなりたくないけれど、しんどい時は無理しないのが悪化させないコツというか当然というか・・・。


ですがずっとベッドの上で過ごしていても不安になるのでだいたいゲーム実況生配信を見て過ごしています。何というか2021年はこの生配信に本当に救われたと思います・・・。もともと一昨年までは実況とかはどちらかいうと苦手、嫌いなカテゴリーでした。ゲームは自分でプレイしてこそ、なんて思っていたのですが年をとって急にガタが来てからゲームをするのも物凄い体力を使うことに気づかされました・・・。(テレビの前で座ってられないOR携帯ゲーム機ですら億劫になることも・・・)

そんな中で自分の自信がなくなって1日過ごす事さえも苦痛になった中でほぼ毎日ゲーム生配信を行っている人々のバイタリティの強さに勇気を貰える・・・というか。特に深夜帯の配信などはこんな夜中でもゲームしてる人がいる、というリアルタイムで人が起きてるという安心感と生命力のようなものが糧になるような、不安が和らぐようなものを覚えたり・・・。

昨日(31日)も色々な方々が年越し生配信などを行っていて、多くの人が見ていて生配信は孤独な人たちの希望のようなものに思いました。
孤独だと感じているのは自分自身の感覚なのですが、生配信でコメントがとてつもない速さで流れていく様子とそれに応答してくれる配信者とのやり取りは正にこれがスタジアム的なアンセムなのかなあと思いました。

本来というか旧来なら親戚がやってきて、とか郷里のおばあちゃん家に行って・・・とかゲームも何もないので暇だとかそういう一種の不便さも年末年始というイベントの醍醐味みたいなところがあるのだと思います。(憶測でしかないのですが・・・)
そういったいい意味でも悪い意味でも隙がない集まりの中で、あるいはどこにも帰る場所がないとか帰らないという選択の人たちの存在がやっと目立ってきたような側面もあるのかな、そうした旧来から少し外れた人たちの間で生配信を見てコメントを送って空間を共有することの意味。現代人はやっぱり皆孤独なのかもしれないと思ったのです。

それはリアルタイムを共有することの安心感もあって・・・、独りである人たちにとって希望のようなものでもあるように思いました。
視聴者は必ずしも独りで見ているわけではないのかもしれないですが、独りでいることの孤独感を和らげるのは生配信の大きな力のように思うのです・・・。

安心安定感や大きな集団への帰属意識は個性的であれということの反動のようにも思っていて、結局個性的であるということは並大抵では個性を突出させることは難しい。
だから個性を確立させることのできた人と一体になりアンセムを謳うことで、スタジアムは歓喜に包まれる。親ガチャに始まる遺伝子や環境といった個人の力では抗えないものに対する絶望と孤独は、個性的である配信者を応援することで一つの共同体になれる。知っているという意識は距離を縮める。繋がりは安息と安らぎ。毎日そこでいるという安定感と安心感。孤独な者にとって生配信は一つの希望なのだ、と。



新年早々に後ろ向きな内容ですみません、でもそういったLIVEの文字に自分は心が救われているのはたしかで・・・リアルタイムで視聴者が沢山いるということは同じように孤独感を感じている人がいるのかな・・・という。どうしても年末年始の帰省ラッシュとかカウントダウンパーティーとか見てると華やかな人たちしかいないように見えて、でも確実にどこにも行けない人たちもいて・・・私も含めてそういう人たちの拠り所というか希望なんじゃないかなあ・・・、という勝手な妄想でした。


謹賀新年!