悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

平穏であれ

淹れたてのカフェオレを持ちながら窓を少し開けてみると湯気がたっぷりとたった。北風は外の新鮮な匂いと研ぎ澄まされたような寒さがあって、屋内にいながら外を久々に感じとれた気がした。温かく甘いカフェオレを一口飲むと外で飲み物を飲んでいるような感覚になった。寒い冬の外で温かい飲み物を飲むのは贅沢だとなぜだか思う。もともと外で飲むのが好きなのだ。
店内ではなく本当に外だ、公園のベンチや緑地に座って自販機でもコンビニコーヒーでも構わない。ただ外の匂いを感じながら景色を見ながら飲むのが店の特有の煩わしさもないし好きなのだった。

思えば雪祭りの寒さの中、自販機には温かい飲み物が並んでいてその飲み物を買ってその場で飲むのがとてもおいしかったのを覚えている。
コーンポタージュやおしるこ、甘いホットコーヒーは寒空の外の下で飲むと格別な美味しさがあった。

冬の外と温かく甘い飲み物は子どもの頃から染み付いた記憶なのだ。小さな記憶が時に心の支えとなることだってある、寒空の外で温かい飲み物を出来ればカフェオレをまた飲んでみたいと窓から外を眺めて思った。
今日は天気が良かったので青空が清々しく澄んで、雪地面に美しい影を落としていた。その様子は綺麗で自分を穏やかにさせた、ほんの一瞬だが無心でいられた。

クリスマスは昨日で終わり、今日が本当のその日だが賑やかで晴れやかな前日とは違い穏やかで静穏である日が今日で良かったと思った。
教徒ではないけれど、敬意は払いたい。
歴史や文化に織り込まれた宗教は切っても切ることのできないものだ。行動理念の根底のようなもので、それらは既に理性として定着している。

救いが欲しいのだ、と思った。
石をパンに水を葡萄酒に変えられるようなとてつもない奇跡が欲しいのではなかった、ただ日々を前に向いていける軟弱だが折れないだけの強さを求めているのかもしれない。
そんなプレゼントが欲しいと思った。もう子どもという年ではないけど、それでも。