悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

忘れタイ

今週のお題「忘れたいこと」


忘れたいことと言われればたぶん殆ど今までの失敗事や後悔してる事、ネガティブな記憶に纏わるほとんどを忘れられれば毎日暮らしやすいだろうなと思った。それだけ失敗の記憶や後悔は足枷になる、またやっても同じように失敗する、次もきっと駄目だと思う。悲劇はまた繰り返される、そうした記憶や予想は過去の経験から経たもので、なにぶん自分の中で説得力を持つだけに断ち切って忘れることは難しい。

だから次に進められない、慎重になることは悪くないけどじゃあチャンスのような希望も得られない。逃す事が惜しくて逃す、絶妙な空回りである。何かと成功者と呼ばれるような人々、別に成功してなくともよいが(古い言葉で)自己実現を行えているように見える人たちは何となく忘れることに成功しているように思う。

反省をしないとかではなくて、ただ目の前の事柄に関して積極的に自ら動き関わっていける状態のことだ。失敗するだとか駄目だとか過去から続くそういったブレーキをも超えられる原動力だ。鮮明に覚えているから縛られる。この日、この天候、この食べ物、この状況・・・という条件が詳細に綴られ思い出せるのなら次もこの条件が揃えば何かを行いたいとは思えない。失敗の条件が揃いすぎている。

それでも何かを成し遂げられる人たちはこの鮮明な体験を忘れられているように思うのだ。
あの時と今じゃ状況が違うという努力と自信も持ち合わせているのだろうけども、それも記憶が鮮明ならあの時と一緒だ、とどこかでやめてしまう事も出てくるのだ。なのに彼らはやめてしまわないでやるのだ。まるで失敗の記憶など忘れたかのように。

無心とか頭を空っぽにするとかいった事は大事なことなのだ、その間は物事に集中できる。

思いや雑念にとらわれている間は疲れて何もやる気も新しい気持ちも前向きな心も冷静な考えも起きてこない、忘れるということは生きる上で重要で大切なプロセスなような気がするのだ。

余談だが、かつてテレビで見た特異な人の中にどんな記憶も忘れる事のできないという人があった。物事のほとんどを忘れることができないという事が非常に生きづらいという。(人はある程度忘れる事が脳のリセットにもなるとか言っていた)

昔はとても見慣れてた事も忘れれば新鮮に感じたりしますしね。昔やり込んだゲームも今やっても新鮮だと思う事もありますもの。
(対象全てというより詳細を忘れる事が重要なのでしょうかね)


(お題の内容ちょっと逸れた気がする)