悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

修行とインドー

やっぱり今月、初頭からパワーが溢れていたのかそのパワーが空回りしている感がある・・・
パワーがないと最初から動きたくないもう無理っすと身体がまずダウンするのだが、身体がだいぶ鍛えられ(?)体力がついてきたのがこうをなしてか身体がダウンしにくいのを良いことにメンタルが落ち着かない。何かをしないと休まらない。

何かをしないとというのは仕事をしていれば仕事をすればいい、ただ仕事するだけでメリハリがつく(リモートワークなど家での仕事はいい意味でも悪い意味でもメリハリがつかなそうで、きっちりとワークスペース専用の部屋を用意しないとかえって疲労がたまりそうだなと思う・・・)

何かをしたいと思っても仕事しているわけではないので何かが収益に結びつくとか達成報酬があるとかそういう見返りが何もないのでただ自分だけの自己満足で押し進めるしかない。
それがもう限界まで来ているような気がするのだ・・・。
ひたすら修行のようにやっていくしかないのだけどこれ以上修行するのが辛くなってきたというか・・・そもそも最初から意味のないズレた方向で修行してたんじゃないか、とか・・・だとしたら時間をどれだけ無駄遣いしているのか・・・他にっと時間を使っていればしっかり形に残る有益なものになったんじゃないか・・・とか。

何が言いたいって多分「形」に残ってるものがないから虚無感がでてきたんだ、形だけが全てじゃない現世とはもともと形の無い虚でしかない無は有であるとかZENで言うもののまだ形の世界に身を置いている身としては形を求めないで探求するとかいうのもなかなかどこかで限度がくるのだ・・・。

「形」ってなんだといってこれは所謂煩悩にあたるのだろう、名声、価値、報酬、富、魂の世界には持っていけない、そもそも魂の世界では意味のないものだとしても実社会ではこれらが明日1日の人生を決めるわけだし・・・。
「形」があれば一応明日も生きる価値があるという肯定感は生まれるわけでしょう・・・?だから「形」を失っても生きれるようになるべく煩悩を絶ちましょうっていうのは結局「形」が生きる事を左右するぐらいの物になってるってことで・・・形が大切だからこそいつ形を失ってもいいように修行するっていう事なんだとしたら、既に形を失ってる人はどうなってしまうのだろう。教えを守って修行していたとしてもどこかで「形」を求めてしまうし、なんなら形がもう自分の手に入らないとしても形を求める事と形を手に入れられないこと、そもそも形を手放すことという三重葛藤になってしまうんだけども・・・

果たしてそれに堪えられるだろうかというか堪えてまで現世にしがみつく意味を別の何かに求めるとかしないとかなりキツくないかとか思う。

だからこそ「無」になりなさい、とか言うけど思考停止できるなら既にやってるって話しで、これ以上葛藤増やしてどうすんねん・・・被虐趣味かよ・・・という感じよね・・・。


なんでこんな話しというと昨日インドの占星術なるものを見たのです、前に見たときは難解そうだなと思ってスルーしてたのですが改めて自分のチャートを見てみたところわりとよろしくない感じだったので凹み。
あまりよろしくない意味のある12番目の部屋に太陽水金の3つがIN。
でその12番目の部屋の意味は解脱隔離タイーホ・・・等々と物騒な感じ・・・いい意味は”海外に関する”ぐらいかな・・・。
しかもそこに3惑星があるとそれぞれ怠惰になってしまうそうです、当たってるその通り。
解脱という意味から修行者にとってはかなり有り難い部屋だそうですが私は修行者目指しているわけではないので微妙な感じ・・・。

その他の部分もあんまり良い感じじゃないのでやっぱりな・・・という思いで気分下がってます・・・。