悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

総ジャーナリスト時代

ちょっと前、一億総ジャーナリスト時代だなと思っていました。インターネットの普及によって今まで専門家の方々がやってこられたジャーナリズム、問題提起、調査報告などを一般の人でもそれとなくできるようになった、となんとなく感じていました。

私自身としては全員がそういう風になるということの悪い面ばかり目が行ってしまってかちょっと全員総ジャーナリストってのはどうなのか、と思っていて。実際に大小様々な問題の発生はキリがなくてそれぞれがその問題性の深刻加減と重要性を説いてしまうとすべての事が悪事で溢れているように見えてしまうし、順列もできてしまったり、時には多くの人を巻き込んだ大事に発展してしまったりもする。

そして私が一番うーむ・・・と思うのはその報告が白熱していくところで、炎上とかそういう言葉でもって言われる場合もあると思いますが・・・。
なんというかこれを問題提起してやろうというところで提起しすぎているきらいがあるというか、え?こういうところを?みたいな時もあって??となることがある。

もちろん今の感性でいえばそういう問題に賛同できる、のが当たり前でそこに意を感じない人というのは封建的な古い人間である・・・という風に言うこともできるが・・・。
それでも一時何年か前に見かけていたTwitterでのそういう問題提起buzzツイートを目にしたときのちょっとした違和感みたいなものを自分は覚えていたことは事実だった。

例えばこの商品は、ウチの会社は~とかそういうとかに何万とかいうリアクションがついててリプ欄には今こそ明るみに出て裁かれるとき(※例えです)みたいなそういうの。
buzzった本人も随時詳細が追加されていくようなそういうの。こういうのを見て当時の自分は一億総ジャーナリスト時代、とそれっぽいことを思ったのだった。
内部告発というのかそういう個別的なやり取りをインターネットという不特定多数の公の前に晒すというのは正に記者のようだ、とやっぱりそれっぽいことを思って学者気取りに酔っていたものだった。

だけどそれが結局みんな同じようにやっていたらキリがなくて、かつ余計な正義心も生まれてくると思って・・・。結局暴きあいになるというかスクープを狙うような感じになってしまうというか、そういう一番撮りを狙うような雰囲気になってしまうのがどうも心地悪いというか・・・。

そして今は便利なスマホがあるのでスクープを狙うことは容易であるし・・・。証拠としてカメラに残せるし、ね・・・。(一億総カメラマン?)
確かに今まで見過ごされてきた悪い事悲しいことが明るみに出るのは良いことなのだろうけど、その出来事を無闇に狙ってしまうというのがどうなのかなあと思っている、という感じ。

かといって自分ももうそれに慣れていて、何かの折にはそういう報告をしてしまうかもしれなくて・・・その問題の取捨選択という加減をどうやっていくのかはきっと知識や経験の理解から始めなければならないのだろうけども・・・。

どんな物でも表に出せるからこそ、現在何を伝えるのかという責任が結構重たくなってきてるんじゃないのかなーとガラにもなく思った次第でありますよ・・・。