悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

伝える難しさ

いつもより言葉が強めかもしれません


最近メディアで○○恐怖症と不安障害的なもの事が取り上げられることが多くなってる、と個人的に感じているのだけど、どうも大手マスメディア(テレビ等)の取り上げるそれらにはあんまり当事者の苦しみを理解していないような、あるいはそうでない人たちに誤解を与え兼ねないような気がしてしまい、うーん・・・こういうのどうなのかな、と思ってしまう。

なんか言葉悪いけどある意味好奇的な目で見られているような気がしてならなくて、

例えば視線恐怖とかなら、不特定多数の視線が怖いってどういうこと?どうやって今までどうやって生きてこれたの?視線が気になる、って結局自分がおかしな服装だったり行動してるって自覚が少なからずあるからじゃないの?的な多方向からの好奇を煽るようにしかなってないんじゃないのかな・・・なんて思ったりする。

とはいえ、その事柄が公に広まることのメリットはないわけではないんだろうけど同じ事も何度言っても慣れてしまうように、細分化された”わかってもらえない”がありふれている昨今では同じように、ひどいと逆に面倒くさいと茶化されることも起こりえてしまうのではないか。

伝えることの難しさ、っていうのは現代の課題的なものなのかもしれないけど、情報の受け手側も発信者である今だからこそ、名前だけというかある意味センセーショナルな言葉を使って釣る(言葉悪いですが)ことでただその名だけが知れ渡ればいい的なものでしかないような気がして、

でもそれだと肝心な中身は後で当事者とかが説明しなくてはいけなかったり、あるいは先に先入観を持たれてたりするとなかなかその説明も理解してくれないのではないか、という不安もある。

じゃあ知らせないことがいいのか、と言ったって全く知らないことの方が問題であったりもするわけだけども、テレビ等で取り上げられる特集の分ではやはり言葉は悪いがエンターテインメントの中の一つのように場面が切り替わると過ぎ去っていくような無常さがある。
どうしても何か上からの目というかそういうものを感じてしまってあんまりその事柄に寄り添ってくれてる感がないなあ・・・と思う。


なんていうかこういうのって誰でも突然起こりうる的なものでもあったりして、疫病渦の中で体調などを崩しやすくなるのも別にそうした不安症とかが全く遠くにあって自分に関係ないわけでもないんじゃないのかな、と思って。

自分は元来の気質のものなのだけど、それでもそういう遺伝的なものだから、とかそういう事だけでもなくキッカケというのは案外どこにでも誰にでも転がってたりするんじゃないのかな、と思って。



・・・ただこんな事を書いておいてなんだがそういうのが許せない自分も実は存在していたりして、どうしても身内のことになるとこういうキレイ事(のような何かだけど)も吹っ飛んでしまうくらいにはいてもたってもいられなくなるので、そういう点においてはどうしても譲れない部分はある、からアレなんだけども。


でもやっぱり知らないよりはこうしてメディアで多くの人に名前だけでも知ってもらうほうが当事の方々にとって良いことなのかなあ・・・
(自分的にはもう少し・・・ゆっくり丁寧に(?)していってほしいような)

「ナニソレ?」がなくなる、言うのが憚られることが少なくなって・・・いく・・・?のだろうか
でもそれを取り上げることで「人間少なからず誰でもあって私もそうなんです、怖いんですよ~」とかなって、ちょっと流行語のようなニュアンスで使われてしまって・・・ん?となる事もありそうだし(・・・)


見事まとまってないですね・・・
ただそういうニュースを見ると「なんだ、自分が不快になる(体調が悪くなってくる)からやめろ的な話しじゃん、」と言われればそういうことなのですが・・・もしかしたら言葉の勢いとか速度的なことなのかもしれないです・・・。