悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

宗徒は今日も眠らない

二次元とそれにある風景の中の話し

うーむ・・・私の追っているジャンルは諸問題が多すぎるというか・・・与えられたものを良くも悪くも直球に捉える人たちが多いように思う。
なんていうか調理のしようでどうとでもなる事なんだろうなと思うのだが、例えばにんじんを渡されたならばカレーしか作れないだろ、というような決めつけというか応答が多すぎるというか・・・
そうであってもいいんだろうけどレパートリーを増やしておくことは悪くないではないか、キャロットジュースだって作っておくのに悪くない。
直球でとらえた時に喜びが倍になるというか・・・そのために皆にんじん=カレーという見方を崩さないのだろう、つまり前提としてにんじんをそんなに好きではないのだろうなと思う。
もちろんにんじんそのものが好ましくない状況で出てくるそれ自体の問題もあるんだろうけど・・・。

それでも調理の仕方(考えよう)によってはいくらでも美味しく都合よく作れるのだから、カレーだけしか作れないじゃん、と言う人は結局カレーの中に入っているにんじんが好きなのだろう・・・。だからこそカレーの中のにんじんだけでなくそのものを見ていく見方もあって損はないと思うんだよなあ・・・と思う。

特に二次創作をしている人なら尚更どうとでもできるのであって必要以上ににんじん=カレーを押し付けることはやっぱり?感がある。

個人的には件のものを特に好きでもないけど、必要以上にぶつけるのは何かなあ・・・と思う。言葉や物語がしっかりと語られていれば溜飲は幾分か下がったのかなあとは思うけども・・・。
(それでも結局ファンサという名の下に声のでかい影響力ある人たちにとって良いものは正義になるしそうじゃないものは悪になるだけなので、そもそも価値というものはあってないようなものなんだよなあ・・・今のアレ・・・。)


追記
しかし実は私も結構damageを受けているなと思った。だからといって全否定したり絶許とかも言えないけど・・・創作ってのを考えてしまうと色々、ね・・・おこがましい事なのですが。
ただ過去の自分だと相手に対して優越に感じるように思っていたかもしれない事に、そう思えなくなったの自分がは一つの共有体の中の一であるということにやっと少しは気付けたからかもしれない・・・?(といってもグヌとなる瞬間はあるのだが)

全ての人と仲良くとか垣根を作らないようにしたいとかじゃなく(そういうのは嫌なのです)、そっちがそれをするならこっちはこれをするといった相互承認的なそれ。

それが同時に存在してもいい(どちらが正義だとかそういうのなしに)という空間と場所を守らないといけないんだろうな・・・と。(それでも何がより”公式”か”一番か”という論争は消えないし煽り合いみたいなのを目にする度疲れるが)

だけど誰もよく思わない何かというか・・・そういうのは難しいな。いやたかだかファンの分際で身勝手なのは分かってるけども・・・。

やっぱりみんなが良い方向に元気じゃないとパワー溢れないしそのもの自体も衰退しちゃうよね・・・って話です・・・