悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

8ノウ

何でも無感所にするのが流行り・・・というか
全て俯瞰して考えさせがちというかなことが多いような気がする・・・?

色んな角度から見ることができるようになったというのは良いことだけど反面的に判断が難しくなる
”どちらか”という審判を下すのには物の見方は多様化している

そうするとそもそも”どちら”を放棄したくなる、同じでいいじゃん、宇宙レベルで見れば塵のかけらに等しいんだし。

そうやって良いこと駄目なことも双方同じくらいあってどちらが悪いも正しいないよね、ってなってくる

(自分の過去で言えば自分がその空間に馴染めなかったのが原因(場の空気を暗くさせた等)であるという見方をされれば、自分に原因があるという言い方は成立する。

私側に確定的な証拠もない以上、私が取った行動は私の勝手であったと言われればそれまでである。

そして恐ろしいのはそれらが現在において無かった、と複数の口から語られれば事実無根になる。
つまり、私が悩んできたものは初めから私自身のせいだけにしか過ぎなかったのだということになる。)


・・・超俯瞰的な見方をされたり解釈をされたら自分の場合、存在の否定かもしれないなと思う

いや自分サイドには事実があって・・・と言ったところで

でも行動を実行したのはおめーだろと言われれば俯瞰的見方として何も誰も悪くないんだよは通っちゃう。
そういう事例ももちろんあるとは思う。
けど私の場合において私がそれを言われるのはちょっと我慢ならないとこもある。

さらにこれらはある時期においてのことだとして、
さらに遡ってみれば私だってそちら側じゃないかと言われかねないこともでてきそうなのだ
それがあれば私は苦しんで当然と言われるだろうか無知だとか重さとか中身はどうでもいい
重要なのは言葉の事実

全てを同一上に置いて俯瞰をする、というのは当該でないものにとって最適なようにも考えられる、石を投げるものも投げられるものも等しく馬鹿、その状態空間こそが愚かしいという理想的で超俯瞰的な見方が浸透しすぎるのも怖いなと思う・・・

いや人がゆくゆくは神みたいになれるのだったらそういう見方は妥当なんだろうけど・・

だからこそAIくんがそういうめんどくさい感情とか諸々抜いた判断下してくれるかもって期待があるのだろう・・・

変なこと書いてしまったな、SFかな?(すっとぼけ)