悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

意識と身体の狭間で

やはり体調に波がある・・・。どうも独りになるのが駄目らしい、物理的にもメンタル的にも。
独りになると救急車呼ばないといけないくらい体調悪くなったらどうしようと途方もなく考えてしまい、それを意識してしまうと体調悪くなってくるような動悸と不安が襲ってくる。誰もいない、私しかいないのだから何とかしないとと焦ってくると途端に苦しくなってしまうのだ・・・。

夜中でもそう思う時はあって、寝静まってる中で何とかそういう悪い方向に考えないようにと人知れず戦っている。(だいたいそうなると漢方の出番だが)
意識すると身体もそれに応えて体調が悪化していく・・・という風になっていくのだ。

それでふと考えたのが「誰にも助けて貰えないから私が自分でしっかりしなくてはならない」という思いを強く持ちすぎているんだなと思った。だから外にも出られないのか、外に出た瞬間に私の事は私でするしかないのだ。だから助けてもたいたいのなら極限的な状態になる、例えばその場に倒れ込むとかそういう明らかさでないと誰にも助けてもらえないという意識が怖いのだ。私自身がそれを実行してしまいかねないからだ。

というと私は今誰かに助けてもらいたい、助けを求めているのだろうか。といって特別助けてもらいた事柄があるとか常に意識がある訳ではないのだ。恐らく無自覚なのかもしれない、それほど極限的状態なのかもしれないけど。

取り分け今は感染症のパンデミックとあれば助けるという行為は躊躇するものだし忌避したくなってしまうような雰囲気はある。体調悪そうな人がいたら「あの人、coronaじゃないか?」の考えは人を遠ざける。

だから現状なるべく外では完璧で健康なように振る舞わなければならなかったし、そうしてこれたけどどうも限界というか今はこの様相を気遣うことはもうたぶん、できなくなったんだと思う。だから外に出るのは怖い。独りでいることに自信がなくなった。

自分のことは自分でコントロールするとか自分を律することができる人は凄いと思う。頼れるのは自分だけ、と考え言う人の自分自身に対する信頼の強さは何故そう考えられるのか不思議に思う事もある。

私は自分自身を信じられないからだ。きっと私が思っている自身と素の自分にズレがあるのかもしれない。意識と身体の相違、たぶん私はずっと自分を欺き続けていたのかもしれない。
でもだからといってこれからその自然の要求を認識して考えていけるかと言われればどうだろう、わからない。

ただこのつらさや怖さや不安は手っ取り早い言い方をするなら誰かに助けてもらいたいんだろうなと思った。だけど言葉は出ないし何をどうしてほしいのかという事もパッと浮かばない、でも何か助けてほしい。きっと話を聞いてほしいのかもしれない、でもその話も内容がすぐには浮かんでこないのだった。