悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

歪なスフィア

どうせ薬を飲むならと今期安定剤を処方されてる分以上飲んでしまっているのが2 /3日以上だというのなら、どこに行かずとも飲んでしまうならと、今日は4錠や9mgといった範疇を超えてとうとう5錠(10mg)という未知を飲んで、私は久しく(たぶん2~3年くらい)会っていなかった祖母の入居した施設に赴いた。

・・・・・・結論からいうと無理して会いに行かなくても良かったかなという気持ちになってしまった。

行く前は家にいてもと、逆にこの機会を逃したら次に会うのは・・・行かないと後悔するんじゃないか・・・といった気持ちであったけど、実際に行くと話ではホテルのような場所だと聞いてはいたけど思ったより病院のようででも本当に個室で談話室とか面会室とかそういうスペースもなくて(職員さんは24時間体制らしいが)何というか、下手に病院よりも味気ないというかただ死を待つだけの部屋のような気がしてしまった。スタッフさんは皆凄く丁寧親切なのだけども何というか・・・結構交流とかが限られていて個というのが好きな人にはいい(?)のかもしれないけども。

祖母はまだ元気そうだったけれど、相変わらずメンタルは酷く落ち込んで弱々しくて、孤独と孤立があって夜も眠れないと言っていた。私の事は顔色良さそうだと言ってくれたけれど。元々弱ってる時も見てきたから祖母のメンタル面の不調はわかっていたけれど、今ここで夜になったら何だか思い出してしまって眠れない。ただ死を待つだけの場所、無機質だったなとか思うと。

自分も今日は薬をしこたまに飲んだにも関わらずその面会が終わってから後に買い物だとかで久々にスーパーの店内を彷徨こうと思ったけど途中で断念してしまって車に退避しっぱなしだった。家に帰ってきても何だかどうも、安定剤は自分の定量をはるかに超えているのにも関わらず、何だか今こうして夜中になって妙にそわそわとしているきらいがある、故にこんな時間に眠れなくなるの承知で書いてるんだけど・・・。何となく吐き出さないと駄目な感じがした。

何というか正直に言えば祖母のペースに巻き込まれてはいけないな、という気持ちが起こっていて私はやっぱり私自身の事を優先すべきかな、自分の事で手一杯だな・・・って思うんだけども実際に会ってしまうと私は私だけの事を考えないといけないみたいなの気はするのだが、やっぱり祖母の事を思い出してしまって重たくなってしまう。たぶん数日経てば忘れてくるものかもしれないけど、これを書いてる今はここでこうしてちょっと書く事で気が紛れるのかもしれない。

眠ろうにも上手く寝付けなくて、薬も流石にこれ以上飲むのはマズいしなあとか(頭は微妙に重たい)思うけど、何だか何時ものようにやりすごすとかが出来ないのはやっぱり無理して行ってしまったかな・・・と。行かなければ良かったかなと・・・話だけ聞いて元気そうだったと伝えだけあればそれで良かったかなあと・・・なんていうか今の自分には重たすぎたのかもしれない。(ここのところの調子の悪さも相まって)結構強行突破というか無理したかもしれない、まだ早かったか機を誤ったか。

酷い言い様だけども、それぐらい自分にも余裕がないんだなって思った。仕事とかしてれば嫌でもそっちに気を取られるけど、そうじゃないからなあ・・・。明日からとかこれからどうしようっていう漠然が降りかかって来るんだぜ・・・と思ったらやっぱり行かない方が良かったのかもな・・・って今更。

私も怖いし不安なんだよな、薬を沢山飲んでも不安とかはやっぱり残る時は残ってしまうっぽいしじゃあ逆に言えば何時もにはそこまで緊張はなかったって事も言えるのか。

何か買い物というか人のいる屋内を歩くっていうのもウルトラマン並みにタイマーが発生してしまって今日は善い収穫というか得た物があまりなかったと自分で思っているみたいだ、対価というか薬を飲んだ事に対して善いと思えた事が少なかった、天秤のアンバランスだった。なんていうか凄くこんな夜中に微妙な気持ちになって、やっぱり無理だった虚栄心だったなとか出てきてしまって行ってしまって後悔みたいな気持ちになってる。

やっぱり自分の事で手一杯だな・・・誰かを構う余裕がないけれど、不穏な空気感はどうしてもまとわりついて漂ってきて・・・それに対して不安に思うのとどっちも嫌なんだけど難しいところですね・・・。

こうして少し書いてみる事で発散出来たらと・・・(夜中だけど)

2.15陰鬱

どうしてそうなる、どうしてそうなるんだのオンパレード。想定外の動きが嫌で不安で怖くなってきて身体が震えてくる、空気が生暖かくてうまく入って来ない気がする。そうなると脳が身体が否応なしに臨戦緊張状態になる、そうなったらもう薬を飲まないと落ち着かない、いてもたってもいられなくなる。薬を含んでも効くまでにほんの少しだけラグがある、10分20分くらい、その間もガクガク震えてきたり暑苦しくなってきたりお腹が不穏にぎゅっと痛くなってくるけどなるべく思わないようにしないと呑まれないようにしないとと思うのが辛い。

今日もつい今に昨日書いていた4錠を超えて9mg(4錠と半分)も飲んだ。今期はこれで2日目。通院は丁度来週。飲んだら飲んでしまったと悲しくて自然に涙が出てくる、飲む前には発作が起きるのではとその恐ろしさに落ち着かないから飲むのにのに飲んだら何でこんなに飲んでしまうんだろうと悲しくなって涙が出る。

”治る”より程遠く真っ向の状態にますます悪くなっていってる一方だと思うと永劫にこの病がつきまとってくるんだなと思うと何でこうなってしまったんだろう、どうしてそうなるんだろうと何で自分の人生は生き方はこんなに不安定で間違いだらけで何も得なかったのだろうという念が出てくる。

思えば何だか何時もどこかから外れてたような気がする、真っ当な道を歩んで来なかった、じゃあそれをバネに躍進できるかとそんな器もなかった。ただ本当に酷く普通より出来ないだけなんだなっていうだけで。

暗闇しかない、なんかここでこんなに薬の飲む量が前年の倍以上に増えるとは思わなかった、ただ悲しい。このままだとどうしようもないのがわかってしまうのが。

2.14何もならない

今期、来週が通院日なのだが一週間前に安定剤の薬がなくなるってどれくらい飲んでるのだろう、ODというほどではないが+1錠足したり半分足したりと調整(本来ならしない方がよいのだろう)してるけど、自分の定量分朝昼晩3回1錠(2mg×3計6mg/1day)を優に越えて3.5錠や4錠飲む日が今期半分以上(2/3日)に迫る勢いである。前々に貰ったストック分も今回のでなくなりそう。

何がそうさせるのかって、何なんだろうな。あんまり意味なんてない気がする、飲まないと落ち着かないとかお腹が痛いとか身体が酷く暑さを感じるとかそういうちょっとした事が危険信号になる。一度落ち着かないんだよ不安なんだよと思えばそうなる。苛々する時もそう。

直接的というにはあれだが最近は父親が日中も起きてる事が多くなった。いやというよりほぼ毎日起きている、それは進歩にも見えるけど起きて何をするかといえばゲームをしているそれも夜中にも起きてしていたり下手すると5時間~8時間くらいプレイしてる時もあると思う。その様子に酷く苛ついてるのが母だ、毎日朝から晩まで居間でゲームをしているのでニュースすらも見れないと普段テレビなんか見るものがないと言う母ですらそういう口実で愚痴を言う。むしろ昼夜寝ていた方が母の自分の自由な時間が確保出来てよかったというまで言われるので私としても困る。

つまり、父親が起きる→ゲームをする→母の苛立ちが募る・・・というサイクルが先月に入ってぐらいから延々と起きている。加えて最近、今月に入ってからは祖母(父親の母なのです)の近況もいよいよその時が迫りつつあると言うのではそちらの親類関係の話もそわそわと落ち着かない。前回の日記で自分の事(家の事)で手一杯と書いたがその通り。関係ないと思えれば楽だけどそういった周りの状況には嫌に振り回されてしまう、空気っていうのかそういう重たい空気みたいなのが漂って、こうした方がよいのだろうな、こうするべきなのだろうなという見えない重圧みたいなのがあるようで、それを一度認識してしまうと苛立ちや嫌な気持ちが起こってきてそういったものを忘れたいが為に安定剤を飲むので量が増えていく。安定剤は全ての嫌を消せる訳ではないけれど、感覚を鈍らせる感じはあるので穏やかにはなる、飲みすぎると頭が重たく痛くてぼんやりとする。でもそういう酩酊に近い状態が心地よかったりする、何も考えず何も感じずに消えて行けたら最高だろうなと思う。

ただいつも飲んでしまったなという罪悪感があって、前までは頭が空になるような大抵の事にはいいよいいよと物事を俯瞰するような遠ざかる感覚が起きていたけれど、安定剤を飲むと若干死にたくなるような気持ちまで現れてくるようになったのが不思議。実際にそういう行動は起こす事はない、奨学金という借金がなくなる訳ではないし何の得もないから。

ただ何か自分が死んだ時に流してほしい音楽のプレイリストとか、そういうのまた作りたいなっていう気持ちになってきた。終活というか、なんか微妙だけど。でも時折思う、溶けるように消えていけたらなんかそれがベストな感じがすると。

2.10まだ

2月になってまだ10日しか経ってないのか・・・ずっと1月の下旬が続いているような2月がずっと続いているような気分になってる。バレンタインデーもまだだし・・・。そういえば今年は閏年なんだなあと・・・29日があって4年前の2020年も閏年だっただろうか・・・なんて記憶が曖昧である、4年毎にあるから時系列的にはそうなんだけど・・・。

年のせいか薬のお陰か記憶というものが曖昧になる時がある、大抵どうでもよかったりすることだけども・・・。

何だか身内周りがばたばたと忙しない、というか祖母が(まだ元気ではあるらしいのだが)緩和施設に入ったりと、余命は3~4ヵ月と言う言葉とそんな会話が上の方(あえてこの言い方をしておく)で繰り広げられている。近い内に元気な内に会いに行かなくてはと思いつつ、家という家の単位としても精神罹患があってちょっと余裕がないという気もしてる。私も何だかそういった話に本来なら真面目に向き合わないといけない時な気がするのだが、(葬儀とかそういう面も)どこか他人事のように「大変なんだなあ」と言う呑気な言葉しか出てこなかったりして・・・何というのか凄く自分の事(自分の家の事)で手一杯だなあって気持ちがある・・・。

祖母だけでなく親戚のおばさん方も色々と施設に入居したりと何やら最近は情報の塊が多いので、私も情報を遮断するというかあんまり耳に入れないようにしてるようなきらいもある・・・やっぱりちょっと自分の事に一杯一杯な感じ・・・。

今年はちょっと色々大きな事が動きそうかなあと思いながら、今から考えるのもしんどくなってくるのであんまり考えないようにするのがいいのかなあ・・・なんて逃げ。

トイレ・・・

下な話。

 

先月末から節分くらいまでお腹というか寸前が極限状態だった。かかる圧が凄まじくトイレに何回通った事か・・・こんなにトイレに行くのは何十年ぶりかあるいは初めてかもしれないくらいだった・・・。とにかく出すのに痛い、出口部が。血が出てるとか訳でもなくよくわからないけど痛い。堅いのととんでもない水っぽいのを繰り返すお腹の中がどうなってるんだ?水が出たと思ったら次は石のように固いという繰り返し・・・地獄のようだった。寝ても圧がかかると痛みになり2時間ごとぐらいトイレに行ってた。全身全霊をかけて集中し身体を震わすとはこの事か、力の限りを使い果たしていた・・・。もうこんな酷い状態は御免だと思いつつもまだ今度はお腹の調子は怪しい・・・。

直前に何か悪いもの食べた思い当たりもないので、気持ちの悪さとかお腹の痛みも実はなかった、あるのは出口付近にかかるとてつもない圧力だけ・・・。単純に冷えたのかもともとの便秘体質に貰ってる薬の何かが効きすぎたのか、原因はよくわからないのが対処しづらい・・・。いやこんなにトイレに籠もったのは何十年ぶりだろう・・・小学生の頃もお腹の調子良くなくてトイレに座ってたのを思い出す・・・。

ただ今回ので少しわかったというか学びは下した方が身体の負担めっちゃかかるなあと・・・固い方もそれはとても痛すぎるけど、水っぽいとその部分だけでなく身体の全てが震えてくる・・・。何を出そうとしているのか、何もないものをひねり出そうとしてるくらい辛いのを身を持って知った・・・。

なので汗はかけば疲れ薬も飲む量は既に前回超えそうなぐらいになってる。まだ次の通院まで二週間以上あるのになあ・・・。今期定量で澄んでる日の方が少なくて、ああなんかもう駄目だなあ・・・って気持ちになる・・・。何だか日々日々あれやろうこれやろうとか楽しさがあんまりなくなってきてしまったなあ・・・。

しかしトイレって物凄い疲れるなあと・・・ドラえもんみたいに全部動力源消化となってくれればいいのになあ・・・などと思ったり・・・。

シンデレラシンドローム

役に立ってる?役に立ってない。将来の夢って何だった。幼稚園の頃は漠然とお花屋さんとかクッキー屋さん。テンプレート。

小学生になったら漫画家だとかクリエイターだとか。漫画家は小学生らしいけどクリエイターなんて超意味不明。中学の時は暗黒すぎて将来に希望持てないながらもキュレーターに憧れを持ったりした。高校になってアニメーターとか(絵が下手くそだけど)になりたいと思った、でもせっかくなら美術の基礎学びたいとか思って美大に行きたいとか思ったが技術不足学力不足。第一志望はずっと美術の分野に携わっていたいと美術史学的なキュレーター的な職種に就けたらいいなと思っていたけれど、まあ狭すぎる門。それで第二志望は心理カウンセラーだったのをふと思い出した。臨床心理士的なものだったか、何でそう思ったのか忘れた。結局美大でも何でもないところに進学して心理学だと学芸員資格取れないのがわかって第一志望だった方に行ったけど美術ではなくどちらか歴史分野だったので全然美学と関係なく・・・。

しかも私が歴史分野まともにやらなかったので歴史系な卒論なども書いてなく、美術とはちょっと違うけど唯一卒制なんていう名目があるところで何とか卒業した。なんていうかふらふらしすぎて何がしたかったのかわからない、未だ奨学金という名の無限ローンはあってたぶん自分が生きてる間に返し切れないんじゃないか。もう自己破産の道しかないと思ってる、ぶっちゃけ。

 

何の為に生きてるんだろうな、日々無意味にすごして何にも身につかないそ自分の為になってないです。薬の飲む量だけ増えて悪循環でしかない・・・。今までの人生振り返ってみると年齢の半分以上家ですごしているというか家から出て行ってないと思った、具体的な引きこもりとかっていう話ではなく、住んでる場所を離れた事があるかとか一人暮らしした事があるかとかそういう感じの方向で。決して家が居心地良すぎてっていう事はない、家にいるのも苦痛な時はあったし(怒鳴られるキレられるわとか怒られる事が多かった)ただ外と比べると家の中の方がマシって感じに近い。

占いっていう根拠は曖昧な話になるけれど私の四柱推命には囚獄ってやつが二つもあって、これは自分が捕らわれやすい身動きしにくいみたいな意味があるらしいけどまあ当たってる気がする、現代なら引きこもりになりやすい病気がちで家にいやすいっていう意味合いもあるとかまあそんな感じだなあと。一つだけならまだそういう限られた場所で縁がありやすいみたいな傾向があるぐらいらしいのですが二つもあると悪い意味合いも含められてくる。(世には三つもある人もいるらしいが)実際に刑罰を受ける事も然りなら濡れ衣も然り、無実であれ何となく目を付けられるという意味もあるだとか。

自分の場合は家にいるっていうか家から離れられない部分が大当たり、好き好んでいたい訳ではないが・・・と前は思っていたけど今は逆に外に出て行く事の方が恐怖になっていて、外に出よう外に出たらいいもにがあるだろうっていう冒険心とかいうものが殆ど無くなった。年齢の制限も大きい。

なんていうかこのままただ隅で生きてるだけなんだろうなっていう気がしていて、そういう生き方の中にささやかな楽しみを見出さないとなって思うんだけれど、いつまでもワンチャンを思ってる自分がいる。これってカボチャの馬車を待ってる灰かぶりなんだなって・・・。ガラスの靴を求めてるだけっていう。

何も出来ないのに何か出来るって実績なかったら何もない、そんな何もない人を見て他者は「??」ってなるだけ。だからずっと自分は子どもだなって思う、永遠の14歳って。

肥大化した自己

12月や年末は雪が少ないと思っていたが1月に入ってとんでもない雪の量になった。というか一気に降りすぎて路脇の雪壁が高い・・・。何だかやっぱり最近は微妙な日々が続く。通院は先週だったが新しい漢方引き続き様子見(漢方は長期飲んで効果が・・・)ということで変わらず。だが薬の飲む薬の量は日に日に多くなっていってるので何だかなあ・・・。

凄く鬱々という訳ではないが、楽しいと思う事もあまり無く・・・日々何の為に生きるのか・・・。

連日雪が降りしきり、駐車場の除雪を母がするのだが日中は仕事に行っているので帰ってきた夜にしているのだがそのために苛立ちが募っているのがわかる。ずっと寝ているばかりだった父親は日中起きているようになった・・・といってもずっとテレビゲームをしているようになった、日中起きてるのなら除雪しろよと母の愚痴。雪かきしてこいといった際にはそういう気分じゃないとか抵抗してきたらしく、ゲームはするのに雪かきはしないってどういうことだと母の父親へのイライラが私に降りかかる。同じ精神患者でも私に言われてもわからない。しかし父親の通院している担当の先生は日中起きていられるようになったらそれは良い事だという風に言われたとも言っていて、確かに先生的には寝たきりよりかは起きてるならそっちのほうが良いと言うだろうな・・・とは。

だが、父親がそういう態度だと矛先も此方に向いてくる。直接言われる訳ではないが、空気を感じる見えない圧力というか居心地の悪さ。家の経済状態はただでさえ悪いので、一応持ち家なのだが近いうちには売りに出そうかなどという事も検討している・・・引っ越しというかまだローンは残っているのですが、管理費等も大幅値上がりとなったので、利便性は悪くはないが今この状況が続くとした上で住み続けるには殆ど保たないだろうな・・・。

生活の質というかレベルというかラインがかなりギリギリで、こういうとき自分もそういう自立支援のある住居に入る事も検討しなければならないのだなあと思うのだけども・・・。今一自立心が出てこないという性質もあって、でもこの先何もしないと困るには自分だと思うのだけれど、でもでもだってが発動してしまう。自分一人で出来るならばそもそも悩んでないのだろうしまず自分もこういった身体の状態になってないだろう・・・っていうのはそうだろうなと思う。

持って生まれた性質っていうのかなあ・・・逃げるばかりを繰り返してたので踏ん張って闘うみたいな事をして来なかったなと思う。ただ闘うとしても武器もなければ防具もないので無装備でただ体力減るだけ・・・っていう言い訳。

何がしたいのだろうな、自分は。昔と比べて今は冒険思考なくなったというか思考の上でも冒険しなくなったなと・・・。昔はエンターテイメントやカルチャーの中心は東京しかないからそういうのを目指したければ東京に行くしかないみたいな考えを持っていて、今でもだいたいそういう側面は変わってないようにも思うのだが、もし今更それを目指したいと思ってもその場所に行きたいと言う気持ちがなくなったというか・・・。色々ネットの発展は目まぐるしいけれど、それに伴うワクワク感ってなくなってきて飽和状態だなあとか、価値あるのかなあとかも思うようになってきてしまって、私がコンテンツの担い手にみたいな思考って本当に若いうちから何か結果を残しておくとかじゃないとほぼ無理ゲーな感じがしてきた。

インディーゲーム分野とかは今物凄い盛り上がりをみせてるけども、やっぱりもともと持ってる人の作り出したものとかそういう風に見えてしまって・・・。やろうともしてない人の言い訳でしかないけれど、何か何だろうな自分は愛好家(観覧者)ではあるけど何かの作り手にはなれない、そういうのがわかったような感じというか・・・。これも言い訳だけども製作できる環境とか人脈とかそういうものが手元にあるかないかとかも重要要素だよなあとかぼんやりと。

何もない自分が何かある人になりたいって分かり易い現実逃避願望なんだろうな・・・と思う。夢見せるだけ見せられても、結局素質の有無というのはあるものなあと虚を思う・・・。