悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

春の絶望

恨み辛みのようなものを書いてみます。いつもの通り最近はヘラってるので注

どうして皆元気なのって思ってしまっている自分がいる。疫病が明けてきて(類も引き下げられ季節性のインフルなどと変わらないようになるとか)今年いよいよ大型連休の旅行者の水準も高いという。長らく暗い日々だった約3年~2年半が終わり、ようやく待ち望んでいた行動制限とそれからマスクの着脱も自由になった疫病以前のような生活が戻ってきている。

私の目に映る人々は皆元気だ。テレビでお花見をしている人や外で遊ぶ子どもたちの声や行き交う車の多さ、人々は皆動いて行動している。Twitterなどで眺めるオタク界隈の人たちもオフイベントなどの締切等々活動や創作に力が入っているように見える。

それらを見て自分が思うことは、皆なぜそんなに元気なのか。という妬みのような悲観のような嘆きだ。社会や世の中が活発になり健全を取り戻していく中とは裏腹に自分は薬の飲む量が増え続けていている。つまり上(良い)と下(悪い)へ2つは逆方向に向かっている、私は下へ。世の中は上へ。世の中が良くならないでほしいというわけではない。むしろ良くあってもらわないと困るのだけど、そのスライドしてく間の大きさが広くなっていってることに絶望を感じざるを得なくなってしまっている。

自分の状態が真逆に悪い方向に向かっていってしまっていて、安定剤を処方されている分+半分と飲んでしまっているのが2日続いていてとうとう駄目な状態まで来ているような気がしている。いつも眠る前は明日に何か出来ればと考えていたものも、今では明日もまた安定剤を必要以上に飲んでしまうのだろうか・・・という諦観と不安と虚しさとで、ああ明日も苦しくなるのかな嫌だなという気持ちでしかいられなくなる。

(もちろんこの事は来週の通院時に言うけれどその通院の時にもうまく話せるか不安だったり、処方されてもらってる分じゃ足りなくなってきてしまっているかもという不安があるのだけども)

世の中のテンションやBPMが上向きになってく一方で自分はシーソーのように下がっていってるようで、先月ごろに書いたような花見だとか○○したいというような希望も未来も夢も何も持てなくなってきている。

今日の20日新月なのだそう、占いなどでは身の回りをきちんと整える事で新たな気持ちを迎えられるとあった。ズルズル引き摺るようなネガティブは駄目だということなんだとうけれど連日のよくわからないぐらいの体調の著しい悪化があると、これは何時になったら良くなる事なのだろうと終わりが見えないのが見えて辛い。良くなったら冒険に出てみたいと考えたところで未来は基本的には今の積み重ねであり今が悪ければずっと悪いままのようにしか思えない。良くなったらって一体いつの事なのか?

今年始めの頃のメモを見返してみると占いのサイトに書かれていた今年の前半はスロースタートで結果を急ぎすぎ焦らないようにとまとめてあった。今年は来年に向けて充電の年で、何事にも蓄える時期であるともあった。だけれども周りのスピードを見ると自分が取り残されているようにしか見えなくて、何もかもが中途半端で何も一つの物として完成して出せるものなど何もない。

存在意義って何なのか、恐怖しか残ってないのならただ毎日辛いだけだ。

増える薬の量と楽しい春の暖かい大型連休、自分と社会との溝がどんどん遠ざかって広がっていく。

 

アーカイヴみたら去年の8月にも似たようなこと書いてたけど今月のは症状が進行というか後戻りしてる感がするので絶望感がより濃いです。