悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

DeAR

才能ある人はやっぱ違うなーと感じる
最近、あんまりな文が続いてるけど、溜めておくのも嫌だということで。

自分の発想力の乏しさが浮き彫りになる。
なんでそんな風に考えられる、ははあーなるほどと言うようなことを作り出せる思考力は才能の塊である。昨日ニコ生でニコニコ美術館なるものがやっていてそこで芸大美術館の展覧会の様子が配信されていた。見たのは本当に番組最後の方だったけども久々に気負いなく面白いとか思えて、とても良かった。

再現可能かというテーマの収蔵作品たちのほんとうに芸術家たちの発想力の極みみたいな、凄く飛んでるように見えた。でもその押し付けがましいようでがましくないような雰囲気(こういう風に仕立てられるのは高度な技術が必要なんだろうけど)が良かった。
一見なにこれ、と思えるワンクッションというかそういうのがあまりにもその考え方が自分から遠すぎて、良かったのかもしれない。

番組を見終わって、なるほど~と考えさせられた部分とやっぱり自分はこういう発想力とか考え方思い付かないな、と思った同時に自分の考えが雁字搦めになっているなとも思った。
固定観念とか物事の道理といって「~だからこう」みたいに論理的に装ったように制限をつけて我慢している、私自身の問題としてこういう物の見方が強い。
極めて大衆的で、その中でも真面目な人たちみたいなぐらいの感じなのかもしれない。

芸術家たちのそういう観点とか見方は今の自分には目から鱗が落ちるようだった。

そしてやっぱり自分の感性というのも本当に何の面白みもないなあと思う。言葉が足らないのもそうだけどそもそも私が感じてないことはどう言葉にしたらよいかわからない、周りの人が喜ぶような無難な褒め言葉や明るく言っておけばいいだろうという風になってしまう。誰かから強いられたことでもなかった、結局私自身の中にそれが出てきてしまう。感性の乏しさなのだ。
そしてそれを後でつまらないと思う私もいる、つまらないとはどういうことか?それしか湧いて出てこないのに何故つまらないと感じるのか

こう書いたら良かった、書きたかったと思ったところで優れた誰かと自己を同一視させているのだろうか、じゃあ果たして自分はどこにいるのだろう。


自分の頭の中は自分の想像以上に空っぽだった。何も考えられない。
皆が美しいというものを美しいと思う、不快だなというものを不快だと思うそういうところでしかなかった。
何も悪いことではないのだ、ただ私が自身に失望してるだけで。


一節のために様々に豊かで豊富な言葉で紡がれていく感性はきっと貴方たちみたいな人が人々へ、文章を書き言葉を贈り続ける書人なのだ、と思った。

私はそこにいない。