悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

想像したら

ふと自分に子どもが、赤子がいたらを考えた。
おそらく自分の子どもは些細な事で泣き叫ぶだろう、その原因が何なのかはたからみてもわからない。

ただずっと泣き叫んでいる。わたしの隣には誰もいない、そもそもこの場所にはわたしと子どもしかいない。泣き声は段々と強くなって部屋一杯に鳴り響く。
わたしはそのうるささに苛立っていた。何が目的なのか、どうしてほしいのか泣き叫ぶ理由がわからない。
わたしはとうとう、「わたしにどうしろっていうんだよ」と怒鳴った。泣き声はずっと大きな声で続いている。
(うるさい、うるさい、うるさい、うるさい)
その言葉がわたしに一斉にたたみかけてくる。
「うるせえつってんだろ」口から出た言葉は絶叫だった。泣き声は止まない。
「うるせえんだよ」
わたしは怒りのような衝動に身体を震わせながら子どもの顔に手をやった、鼻と口を塞いでみようと思った。
(お前なんかいなくなればいい)そう思ったのは事実だった。

ってことになりそうだなと思った。思いついてる間凄く気分が悪くなった。でも事実だろうなとも思った。勿論、全て想像だけど。
「私にどうしろというのか、私にどうしてほしいのか」というのは現実の自分に強くある。
私にどうしてほしい相手の要求が、わからない。
というより「私はこれしかできない」を超えた要求を求められているような感じがする。
子どもの例えでいうなら泣き叫ぶ子に対してわたしは抱いてやるとかミルクをやるとかおしめを替えるとかそういうことくらいしかできないが、それでも子どもは泣き止まない。万策尽きる、である。

わたしは充分やった、なのにこれ以上どうしてほしいというのか?もう出来ることはないのに
何を求めているの?どうしろっていうの?
途方に暮れる、誰もいない。

追い詰められた状態とはこのように言うのだろうか、それともまだ”甘い”のか。
つまるところ誰も自分を理解してくれない、という所にありそうではある。

だがその理解は難しい。共感をすることが理解にもならないからだ、またアドバイスすることも他にも苦しんでる仲間がいると精神論を説かれることも適切ではない。これらは私を理解してくれないに等しい。こういった慰めが私の話を聞いていない証拠である。

わがままなのは承知の上で、でもこのわがままを満たしてやらなければならない。
でないと自分に押し潰されてしまうから、だ。
でもそれを満たす方法もわからない。



ということを考えていますと、苦しくなってくる。私にどうしろっていうのとオレの話を聞けぇ!というダブル感覚はバツバツにありますが。

プラスで自分に子育てとか明らか無理だしそもそも全くやる気もないなという(少子化とか自分はパスの方向で)