悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

小さな旅情

唐突だが津軽海峡冬景色の歌にも北の果ての竜飛崎(岬)・・・とかあるけれど、本州の人からしてみれば北の果ては青森に他ならないのかなあ・・・とか思ってみたり。
確かに陸路であればそこが(一応)限界であって、本州という島(?)の北の果てでもある。

その何というか本州で生まれたら北上した時、遙々青森、本州の果てまで来たときの旅情感を味わえたのだろうか。ここが北の果てか・・・なんて遠くまで来たことだろうという思いに耽られたのだろうかと思ったら何かその感覚がどんなものなのだろうという興味がある。

自分は更にその上が故郷なのでたぶん自分にはあまり感じ得ない感覚だろうなと思ってしまう。
本州側から海峡を見た感じってどんな風なんだろう・・・しかも南からの旅人であればなおさら。(私はたぶん家まで遠いよなあとか思ってしまいそうだが・・・)

時に昔、中学の修学旅行で逆から海峡を眺めたことはある。フェリーではなく鉄路でしたがまだ新幹線は通っていない時代でした。
面白いなと思ったのは電車が地上からどんどん海の方に向かって沈むように海底トンネルに入っていくこと、本当に海に向かって入り込んで行くのが不思議な光景で面白いと思った。
(青森側からだとあんまり海に入っていく感覚なかったかなあ・・・函館側からの方が海に突っ込んでってるぜ!?感あるかも・・・)
その時は本州だー東北だーとめったに海を渡って旅行したことのない自分にとっては感動的な事だったしワクワク楽しかった。歌とは正反対。
帰りも寂しさの旅情感より、(疲れた・・・はよ帰りたい・・・)という思いの方が強かったような・・・。


と外れたれど、その北の先を見てここが本州の果てであの先に北海道があるのか・・・としみじみ思うことは自分には体感できないのかな、なんて。いや、もうそもそも今の時代そこでそう思うことなくそれこそ稚内とかに行ってここが最北端かーとか思うことの方がポピュラーなのかもしれないけれど・・・。


それでもその本州の果てという旅情感はやっぱり本州で生まれ育った人にはあるのかなという私の勝手なイメージ、妄想なのですが・・・。


そういえば(新幹線の今でもあるのかな)青函トンネルを通る際にこのトンネルは海底最大百何十メートル下を通って~というようなアナウンスが入ったりするのですが、修学旅行に行く前には事前学習として当時のプ○ジェクトxも見させられたけど当時として(今でもだろうけど)超大事業だったんだなと思うのはそうですが、それほどまでにこの海峡は本州の他の海峡よりも長く別物ものだったんだと思わせられる・・・。

確かに動物の生態系も若干違いがあって、列島が氷河期の時にも一番深い部分だけは水が残っていて川のようになっていたらしいので、それで分断されていたとか何とか・・・。
それだけ深い海峡に鉄道(陸路)を通すという無茶苦茶をやってのけたのは凄いというか何というか・・・。そういう場所なのならやっぱり寂寥的な旅情を感じられるのだろうな・・・。

体調とかが良くなったら旅行とか竜飛崎行ってみたいですね・・・本州の北の果て、果たしてどう思えるのか・・・。